日本ではあまり紹介されない話だが、戦後米国で行なわれた秘密活動の父として、
ケナンは非常に有名な人物である。
秘密活動といえば、言わずと知れた中央情報局(CIA)が担当する分野だが、
ケナンは戦略事務局(OSS)解体後に設置された中央情報グループ(CIG)において、
ヴァンデンバーグCIG長官の要請に応じて、分析顧問を務めていた。
その後、ウォーカレッジ教官を経て、国務省政策企画室長へと抜擢されるのだが、
米国で公式に秘密活動を承認した文書となる「NSC4/A」で、
ケナンは心理工作の検討を本格的に進めたいとの理由から、
元来、この文書は大統領・国務長官・国防長官以外には配布されなかったにもかかわらず、
ケナンは特別に配布許可を得ていた。
「政治的封じ込め」として特徴づけられるケナンの冷戦政策は、
経済的手段をベースにしたものとして解釈されることが多い。
しかし、実を言うと、それはケナンの封じ込め政策を半分しか説明できていない。
むしろ、ケナンにとって重要だったのは、経済的手段もさることながら、
それと同じくらいに心理工作を対ソ戦略の一環として位置づけていたのである。
「NSC10/2」は、ケナンが積極的に関与しながら承認を得た文書であり、
そこには反共分子への支援やプロパガンダなど、様々な秘密活動が列挙されている。
そして、国防総省との間で調整機関を設置したケナンは、
自らが実質的に部長となって、CIAの工作活動を取り仕切っていたのである。
ケナンの回顧録を読むと、その詳細についてはほとんど触れられていない。
確かに秘密活動への関与を滲ませる部分もないわけではないが、
本人としては消極的だったような印象を与える表現にとどまっている。
さらに、その後、ゲリラ工作など軍事作戦にも活動領域が広がっていった点について、
軍部の強い要求をはねつけることができなかったと述べている。
当時、朝鮮戦争がすでに起こっている段階において、
軍部の意向を汲まずに秘密活動を実施するのは困難だったことは想像に難くない。
だが、結局、ケナンの理想とする秘密活動とは何だったのかといった点については、
ケナンは最後まで具体的に論及することはないのである。
ある冷戦史家は、そうした事実を認めた上で、
共産主義の脅威を恐れたケナンの暴走と解釈しているようである。
だが、ケナンにとって誤算だったのは、共産主義の脅威に対する認識にあったのではなく、
米国が選択する政策手段への安易さにこそ向けられていたのではないだろうか。
あらゆることをソ連との政治的駆け引きや外交交渉の材料として利用すべきところを、
秘密活動という手軽な手段で解決のための活路を見出そうとした米国に、
ケナンは大きな後悔の念を抱いたのである。
ケナンにとって、秘密活動とは、小規模かつ継続的で民間主体で行なうべき政府活動であった。
従って、アイゼンハワー政権で、CIAが大々的に秘密工作を実行し始めた時、
それはケナンが求めた秘密活動の在り方ではなかったのである。
そうであるにもかかわらず、米国の秘密活動の父として内々には語られることに対して、
きっとケナンは忸怩たる思いを抱いていたことであろう。
ケナンは非常に有名な人物である。
秘密活動といえば、言わずと知れた中央情報局(CIA)が担当する分野だが、
ケナンは戦略事務局(OSS)解体後に設置された中央情報グループ(CIG)において、
ヴァンデンバーグCIG長官の要請に応じて、分析顧問を務めていた。
その後、ウォーカレッジ教官を経て、国務省政策企画室長へと抜擢されるのだが、
米国で公式に秘密活動を承認した文書となる「NSC4/A」で、
ケナンは心理工作の検討を本格的に進めたいとの理由から、
元来、この文書は大統領・国務長官・国防長官以外には配布されなかったにもかかわらず、
ケナンは特別に配布許可を得ていた。
「政治的封じ込め」として特徴づけられるケナンの冷戦政策は、
経済的手段をベースにしたものとして解釈されることが多い。
しかし、実を言うと、それはケナンの封じ込め政策を半分しか説明できていない。
むしろ、ケナンにとって重要だったのは、経済的手段もさることながら、
それと同じくらいに心理工作を対ソ戦略の一環として位置づけていたのである。
「NSC10/2」は、ケナンが積極的に関与しながら承認を得た文書であり、
そこには反共分子への支援やプロパガンダなど、様々な秘密活動が列挙されている。
そして、国防総省との間で調整機関を設置したケナンは、
自らが実質的に部長となって、CIAの工作活動を取り仕切っていたのである。
ケナンの回顧録を読むと、その詳細についてはほとんど触れられていない。
確かに秘密活動への関与を滲ませる部分もないわけではないが、
本人としては消極的だったような印象を与える表現にとどまっている。
さらに、その後、ゲリラ工作など軍事作戦にも活動領域が広がっていった点について、
軍部の強い要求をはねつけることができなかったと述べている。
当時、朝鮮戦争がすでに起こっている段階において、
軍部の意向を汲まずに秘密活動を実施するのは困難だったことは想像に難くない。
だが、結局、ケナンの理想とする秘密活動とは何だったのかといった点については、
ケナンは最後まで具体的に論及することはないのである。
ある冷戦史家は、そうした事実を認めた上で、
共産主義の脅威を恐れたケナンの暴走と解釈しているようである。
だが、ケナンにとって誤算だったのは、共産主義の脅威に対する認識にあったのではなく、
米国が選択する政策手段への安易さにこそ向けられていたのではないだろうか。
あらゆることをソ連との政治的駆け引きや外交交渉の材料として利用すべきところを、
秘密活動という手軽な手段で解決のための活路を見出そうとした米国に、
ケナンは大きな後悔の念を抱いたのである。
ケナンにとって、秘密活動とは、小規模かつ継続的で民間主体で行なうべき政府活動であった。
従って、アイゼンハワー政権で、CIAが大々的に秘密工作を実行し始めた時、
それはケナンが求めた秘密活動の在り方ではなかったのである。
そうであるにもかかわらず、米国の秘密活動の父として内々には語られることに対して、
きっとケナンは忸怩たる思いを抱いていたことであろう。