YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

12月10日

2009年12月10日 | THEORY & APPROACH
 『正論』や『Will』などの雑誌を見ていると、
 現在の民主党政権をナチスに、小沢幹事長をヒトラーになぞらえて、
 その危険性を指摘する記事がよく掲載されている。
 単なるレッテル貼りとしか思えないものも少なくないが、
 民主党の中で流れる思想傾向を煎じ詰めれば、
 確かに全体主義への共鳴を感じさせる部分があることは否定できない。

 たとえば、民主党が口に糊して主張する「政治主導」とは、
 実質的に「与党主導」のことを意味している。
 それは決して国民の信託を受けて国政を担う「立法府主導」を指しているわけではない。
 民主党が議員立法を禁止し、党幹部によって定められた政策方針への従属を要求するのは、
 そうした理由からであろう。
 民主党の統治思想は、つまるところ、政党を頂点として、行政府や司法府を配下に収めるものである。
 その中で、立法府は政党の政策法案を承認するだけの機関として機能することが期待される。
 このような統治思想は、かつてはソ連が採用し、現在でも中国が採用しているものだが、
 要するに、基本的な発想は共産体制の統治思想と大きく変わらないのである。

 民主党側としては、従来の統治システムが完全に破綻しているからこそ、
 それを再検討した中から生まれてきた発想だと言いたいかもしれない。
 なるほど、自民党と官僚の癒着が生み出してきた様々な弊害に国民の多くはうんざりしているし、
 その改善を図るには、政権交代という荒療治を施さなければならない点に関しては、大いに頷ける。
 また、利益団体との強い結びつきが自民党時代の資源配分に大きな歪みをもたらしたことも、
 間違った見方とは言えないだろう。
 実際、地方に赴くと、経済性を度外視したとしか思えない建造物が、
 田んぼや山の中にドンと立っている風景を何度見たことか。
 しかも一連の公共事業が米国から送られてくる「年次改革要望書」に基づいたものとなれば、
 民主党が抱く危機感も、まったく理解できないこともない。

 ただし、その危機感が跳躍して、全体主義的な様相を呈することには大きな問題がある。
 リーダーシップを発揮することは、党への従属を強制することと異なっているはずだからである。
 それに本来、行政・立法・司法の三権は、互いにチェックし合うことで権力の濫用を防ぐ目的がある。
 党主導の場合、そのバランスは大きく崩れることになり、与党の専横を許してしまいかねない。
 議院内閣制のため、行政・立法の関係が近くなることは止むを得ないとしても、
 そのチェック機能が失われるような制度設計には、
 やはり懸念を抱かざるを得ないのが、正直な印象である。