クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

四肢麻痺障害者であろうが自分が思うがまま生活できる!

2015-03-14 08:03:47 | 脊髄損傷
私が五体満足なら好き勝手生きるが四肢麻痺でも好き勝手生きることができるか?

可能に決まっている!

2006年7月7日に交通事故で脊髄損傷になってから
それまで体験したことのない理不尽な生き方を障害者施設に強制されそうになりながらも
自分のやりたいように生きるために戦ってきたわたしが発言できる生き方を
思いつくままに連ねてみようかと思います。

事故をおこしてまず気がついたことは
交通事故程度でさえ自分で責任を取ろうという人間が少ないのが現日本社会の現実だということ!
東日本震災での原発は明らかに人災であるのにあれから時間も経っているのにその責任の所在がはっきりしないで済まされるのが日本人の戦後教育の結果なのでしょうか?
福島の原発はいざという時の電源の不備を指摘されていたというのになんの対処もせずに放置していたというなら責任の所在は明らかだと思うのに?
正しいことを実施するより決まったことを実施することに慣れてしまい
会社や役所が責任を取ってくれるかのような錯覚に陥っている馬鹿者の多いこと!

目の前に正しい答えがあるのに声をあげてそのことを伝えることのできない現在の環境に気がついている人の少ないこと!

私の交通事故での私と加害者は記憶の限り誰が見ても加害者の暴走が原因であり
本人も事故後1年は全て自分が悪かったと言っておきながら、いざ刑事裁判が終わりいざ保障のために保険屋との交渉に入ろうとしたときに加害者の永滝はセコムの保険屋に脅され

「セコムの保険屋に全て自分が悪いというなと言われたから悪かったと言えない」

こう態度を変えてくるような間抜けな大人が世の中には沢山蔓延っているのは間違いありません
交通事故を起こした場合全て相手が悪と思えるのであれば

必ず加害者から一筆取るべきだということは言っておきたい。

障害者施設に6年ほど世話になりましたが
責任ということに関して障害者施設は責任の所在が曖昧であり
子供でもその決まりは変だということに気がついていないかのように
誰一人正しいと判断できる行動が取れないくらいの知性しか持ち合わせてないらしく
そんな施設職員から発せられる言葉は

「施設で決まっているからです」

の一言でどれだけ障害者の人間らしく生きる権利をないがしろにし
人間としての尊重を奪ってきたことかを気がつかない程度の知性しか持ち合わせていない職員の多いのにびっくりさせられますし。
時折新聞で障害者施設等で虐待が起こっているという事実を突きつけられても
目をつむって見て見ぬ振りしているのが戦後日本の教育の成果なのでしょう!
こんなバカな大人にならないためにどうするべきか?

現在の施設運営に疑問に思う一人一人が声を掛け合いながら発信していくしかないと思います。

間抜けな奴には何を伝えようとしても無駄!
馬鹿は死んでも治らない!

この二つを理解できれば無駄にストレスを溜めることなく生活できるし
四肢麻痺の障害者には当然の知恵ですが
これらの腐ったミカンを放置しておくのはなんの解決にもなりません。

ただし
障害者施設で生活せざるを得ないと自分の人生諦められた人も多く見かけたことは事実
私個人としては刑務所以下の障害者施設から抜け出せたことにこの上ない幸せを感じています!

極悪な障害者施設という地獄から抜け出したとしても
私の身体は誰かの介護を受けないことには一人で生活できるわけではありません!
そんな派遣介護が希望に沿わないときは障害者施設で身につけた

「見えない聞こえない感じない話せない」

間抜けな低レベルな介護士が来た場合死んだふりして逃げるしかありませんが
そんな状況ももうすぐ解消されようとしているのは最後まで快適な生活を送りたいという希望を捨てなかったからだと思います。

障害者であろうが夢も希望も持ち続ければ必ず叶います!
障害者でも幸せはつかめます!

そんな障害者の幸せを羨ましく感じる間抜けな五体満足大人には出会いたくないですね!

^~^♪
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