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木洩れ日抄 35 森下高志 一人芝居「青春ドラマ──運命の奇跡」@平和祈念資料館(新宿)を見る 2018.3.21

2018-03-22 22:20:38 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 35 森下高志 一人芝居「青春ドラマ──運命の奇跡」@平和祈念資料館(新宿)を見る 2018.3.21

2018.3.22


 

 季節外れの雪が積もり、寒風が吹きすさぶ新宿。こんな日に、いったい何人集まるのだろうと危惧していたが、会場は満席。50人ほどでいっぱいの会場に80人。子ども連れの若い親御さんたちも目立つ。頭のさがる思いだ。日本もまんざら捨てたもんじゃない。

 シベリア抑留体験の手記をもとに、一人芝居として上演するこの企画に、キンダースペースは、何年も前から関わってきている。今までの出演は、瀬田ひろ美と森下高志。今後は、小林もと果の出演も予定されているとのこと。こうした地味な企画に、劇団として積極的に関わり続ける姿勢は、高く評価されねばなるまい。役者だけではなくて、音響から演出まで、キンダースペースがすべてを担当しているのである。

 私事を言えば、ぼくの父もシベリア抑留者である。父は昭和23年の夏に復員。(ぼくが生まれたのはその翌年だ。)この「一人芝居」に出てくる若月さんは、昭和24年の復員。抑留地も父とは違うし、おかれた境遇も違うが、それでも、ぼくが幼い頃から何度も父から聞かされてきた話と重なる部分が多くあった。

 森下君の芝居は、これで2回目となるが、演技には更に磨きがかかり、若月さんの心情がよりダイレクトに伝わってくる感じがした。特に、帰国が決まってナホトカから船に乗り込むシーンの心情表現は、スリリングであり、切実感に溢れていた。

 父が復員後、何度も繰り返してみた夢は、帰国が決まった者の名前が呼ばれる場面だったそうだ。まさに地獄からの生還は、その一瞬に決まったのだ。けれども、決まったからといって、無事の帰国が保証されたわけではない。父の場合も、ウラジヴォストークまでの列車の中で、何人もの戦友の死を見たという。だから、若月さんが、ナホトカに着いたとき、喜びはいうまでもないが、また不安もあったわけだ。いつ、その決定が取り消しになるかもしれない。とにかく「早く船に乗りたい」という焦り。そして、やっと船が来て、その船に乗り込んだときの安堵、更に、日本の大地を踏んだときの感慨は、おそらく経験したものでなければ分からない類いのものだ。

 そうした「経験」を、小さな舞台で、幼い子どもも含めた観客の前で、共有できるものとして提示すること。その困難な課題に、森下君は、誠実に取り組んだのだ。

 子どもたちは、恐らく、その帰国時の感慨は分からなかっただろう。けれども、子どもたちは、例えば、「零下30度」といった単純な事実を示す言葉にも敏感に反応し、「え?」という驚きの声をあげる。それだけで十分ではないか。零下30度の土地で、過酷な労働をさせられた人がいた。それはなぜか。そうしたことは後から学べばいい。その学びの中核に、森下君の声によって発せられた「零下30度」という言葉が、その言葉への驚きがあるだろう。

 それは単なる言葉にとどまるものではない。この冬、零下2度とか、3度とかいう気温を体感した子どもが、その延長線上で獲得した「体感」である。それは、たぶん、活字で読んでも得られない「体感」だろう。今日、寒い寒いといってやってきたこのビルで聞いた「零下30度」という言葉。どこか知らない遠い所で、遠い昔、誰だかしらないオジサンが震えた「零下30度」。それをその子は感じたのだ。これが、大事な「経験」でなくて何だろう。

 こうした貴重な「経験」を、キンダースペースは提供し続けてくれている。その志や、よし。改めて、感謝とともに、今後の更なる活動の発展を祈りたい。









稽古風景(瀬田ひろ美さんのFBより)



当日開演前の様子(瀬田ひろ美さんのFBより)







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