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日本近代文学の森へ (193) 志賀直哉『暗夜行路』 80  新しい出会い   「後篇第三  一」 その3

2021-06-29 15:22:00 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (193) 志賀直哉『暗夜行路』 80  新しい出会い   「後篇第三  一」 その3

2021.6.29


 

 彼は巻烟草(まきたばこ)に火をつけ、起ち上がって、庭へ下り、流れにかけ渡した一枚板の橋から河原へ出て見た。草いきれのした地面からの温か味が気持悪く裾から登って来る。そして其所には汗と埃で顔に隈取りをした町の児らが甚兵衛一枚の姿でまだ、ばったを追い廻していた。彼はぶらぶらと荒神橋の方へ歩いて行った。

 

 加茂川沿いの宿からは、すぐに河原に出ることができる。謙作は一休みすると、また川べりを散歩する。


 軒を並べた河原の家々では、電燈のついた下で、向き合って酒を飲んでいるのなどが見られた。
 その一軒に多分地方から出て来たらしい病人で、近いこの辺に部屋借りをして大学病院に通っているという風の老人がいた。謙作は四、五日前から、一人の若い看護婦とその老人の細君らしい五十余りの女の人のいるその家に心づいていた。そして今、彼が何気なくその前へ来ると、毎日は見掛けない若い美しい女の人がその縁で土鍋をかけた七厘の下をあおいでいるのを見た。大柄な肥った、そして火をおこしているためかその豊かな頬が赤く色づいている。それも健康そうな快い感じで彼に映った。彼はその人に惹きつけられた。普段何気なく美しい人を見る時とは、もっと深い何かで惹きつけられ、彼の胸は波立った。それはそれほどにその人が美しかったというのとも異う。彼は自分ながら初心者(しょしんもの)らしい心持になって、もうその方を見られなかった。そして少し息苦しいような幸福感に捕えられながらその前を通り過ぎた。

 


 出会いはこんなふうに語られる。

 今の都会では、道から家の中をのぞかれないように、最大限の注意をはらって視界を遮断するから、こんな光景にはめったにお目にかかれない。何十年と同じ家に住み、何十年と隣合わせながら、その隣人が家の中で何をしているか、まったく分からない。見たこともない。見えるとすれば、向かいの家のジイサンが、ベランダに干した洗濯物をときどき裏返したり(その奥さんによれば、そんな必要はないらしいのだが)、その隣のジイサンが開け放した窓辺で、ウクレレを弾いているぐらいなものである。しかし、その人たちが家の中で何をどのようにしているかなど、まったくうかがい知れない。

 それが、ただ通りがかっただけで、「多分地方から出て来たらしい病人で、近いこの辺に部屋借りをして大学病院に通っているという風の老人」と見えてしまうということは、謙作の鋭い観察眼があるからだろうが、やはり何度も通りかかっただけではなくて、家の中までよく見えるということが大きい。この老人がどうして「地方から出て来たらしい」と分かるのか。京都人らしくないたたずまいだろうか、着ている衣服が野暮ったいのだろうか、それとも、ちょっとだけその話し声が聞こえてきたのだろうか。うん、きっとそうだ。

 「その老人の細君らしい五十余りの女の人」というが、この「老人」って、いったい何歳ぐらいなのだろうか。今では「老人」といえば、たいていは70代とか、あるいは80代を連想するが、おそらく当時は60代だろう。斎藤茂吉は71歳で死んだが、その年譜をみると、64歳の項に「老いた茂吉の心に再び創作意慾が燃え立った。」(「日本詩人全集10 斎藤茂吉」昭和42年刊)と書かれている。昭和42年(1967年)においては、64歳で「老いた茂吉」と表現しても少しも違和感がなかったはずだ、ということだ。この「細君」が「五十余り」だとすれば、まあ、「その老人」は、60歳そこそこであったろう。今の感覚からすると、すごく年の差がある、ように感じてしまうので、注意する必要がある。

 そして、謙作は「美しい人」を発見する。「美しい女の人」と言っておきながら、すぐに「それほどにその人が美しかったというのとも異う」と否定するのは、「普段何気なく美しい人を見る時とは、もっと深い何かで惹きつけられ」たからだと言う。

 それは、東京での遊蕩生活の中で出会ってきた女とはまるで違うなにか、つまりは、外面の美しさを越えた「もっと深い何か」を感じ、「惹きつけられた」からだというのだ。

 その「深い何か」がなんなのかを言葉にはできない。できないからこそ大事な「何か」なのだ。こうした出会いは、第一部にはなかったような気がする。

 謙作は、これまでの女性関係において、それほど「美人」にこだわってきたわけではない。商売女との付き合いにおいても、そこに、商売女を「越えた」何かをいつも求め、その挙げ句に幻滅するということの繰り返しだったし、謙作がある意味、ほんとうに愛した女は、「お栄」であったのかもしれないが、それは祖父の妾で、かつまた「育ての親」でもあったような不思議で不自然な関係だった。

 また結婚しようとした愛子は、別に謙作が見初めたわけではなく、恋愛とは別の結婚相手として考えたところがあって、ただ、一方的に断られたことが謙作のプライドを傷つけ、同時に出生の秘密を恨むことにもなったわけだ。

 あとはただ遊郭に入り浸り、娼婦を相手に「無い物ねだり」をしていたに過ぎない。娼婦の乳をささげて、「豊年だ! 豊年だ!」と叫んでみても、それがそのまま謙作に新しい生活を約束したわけではなかった。

 しかし、この京都で、謙作は、初めての「出会い」をしたのだ。謙作の「幸福感」は、手に取るように伝わってくる。


 荒神橋の下まで行って引き返した。彼は遠くから注意した。その人は縁へ立って、流れをへだてた河原の人を見下ろして話していた。河原の人は年とったいつもの女の人で、いう事はわからなかったが、何かいって二人が一緒に身を反らして笑うと、若い人の声だけが朗らかに彼の所まで響いて来た。その快活な響に思わず彼は微笑する気持へ誘われた。間もなく年とった人は川べりの方へ歩いて行った。湯上りらしく団扇を片手に持っている。そして若い方の人は土鍋のふたをとって中へ入って行った。
 その人はたすきがけで働くにしてはいい着物を着ている。その日特別に手伝いに来たらしく謙作には察せられた。そして働き方もいそいそとそれに興味を持っているような所が、何か小娘の飯事遊びの働きかたに似て見えた。
 彼が前まで来た時にまたその女の人は縁へ出て来た。彼は少し堅くなったが、自分でもなるべく何気ない気持になって通り過ぎた。後ろから見られるような気がして身体が窮屈であった。

 


 まるで、淡い陰影に彩られた川瀬巴水の木版画のような光景である。

 謙作は、対岸へ行ったのだろうか。それとも、同じ道を引き返し、「その人」の家の遠くから見ていたのだろうか。たぶん後者だろう。加茂川は相当幅広い。

 遠くに見える人を、その姿や動き、そして時々聞こえてくる声で描く文章は、ほんとに巧みだ。

 特に「その人」を、着ている着物と、「働き方」で描ききる手腕には感心する。「働き方もいそいそとそれに興味を持っているような所が、何か小娘の飯事遊びの働きかたに似て見えた。」なんて、そうそう書ける文章ではない。

 確かに「主婦」は、そんな「働き方」をしない(だろう)。七輪に土鍋をかけるのも、その鍋を家に持ち込むのも、べつに「いやいや」やってるのが目に見えなくても、あるいは「いやいや」じゃなかったとしても、そこには習慣をこなすことへのめんどくささとか、疲れとか、諦めとか、そんなものがほのかに、あるいは濃密に、漂うものだ。けっして「いそいそそれに興味を持って」という感じにはならない。

 そんなふうに、「その人」を描くのに、いわば「裏側」から描くとでもいうのだろうか、「あ、これは絶対、主婦じゃないよなあ」という描き方が素晴らしい。

 

 


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