代々木公園ヘルスケア鍼灸院blog

渋谷区・富ヶ谷。代々木公園近くの鍼灸院が綴る日々のこと。

リングの貴公子

2009-07-02 13:32:27 | 日記


今日は雨。

なんか憂鬱な気分です。 午前中、治療院の予約も入っていない。

そんな時は治療院の掃除。

PCを空け、いつもの様にボクシングの投稿サイト BOXING MASTER を見ると、又悲しき訃報が!



元ボクシング3階級世界王者、アレクシス・アルゲリョさん(ニカラグア)が自宅で拳銃自殺。

1974年から1981年までに3階級制覇を果たす。
華麗なテクニック、端正な容姿から、リングの貴公子、またその痩身長躯に似合わぬ強打から“破壊的な痩せっぽち”とも呼ばれた。
1979年に母国ニカラグアがサンディニスタ革命によって共産化すると、アルゲリョはそれまでの防衛戦で稼いだファイトマネーを没収されたために、米国に亡命せざるを得なかった。にもかかわらず、以降もボクサーとして素晴らしい成績を残したことは、彼の精神力が並々ならぬものであったことの証左である。後述するアーロン・プライヤーに2度目の敗戦を喫してからは、セミリタイア状態でニカラグアの反政府活動に従事したとの説もある。
1985年にボクシングへと復帰したものの、試合後の検査で心臓に欠陥があることが判明し、引退することになった。
引退後は政治家へ転身し、2008年にニカラグアの首都マナグアの市長に選出され、就任した。

1967年、プロデビュー。
初の世界挑戦は1974年2月、エルネスト・マルセルの持つWBA世界フェザー級タイトルだった。この頃のアルゲリョはまだ無名の存在だったが、王者相手に大善戦し小差の判定負け。
9か月後、マルセルが返上したタイトルを獲得した「ミスター・ノックアウト」ルーベン・オリバレスの初防衛戦の相手に選ばれる。アルゲリョは10回以降KO負けのピンチに見舞われるが、13回、左フックのカウンターでオリバレスを横転させ、さらに粘る王者を右アッパーで沈め、世界タイトル獲得。
このタイトルは4度防衛し、いずれもノックアウト。
1975年10月12日、3度目の防衛戦で来日し、東京:蔵前国技館で「KO仕掛人」と呼ばれたロイヤル小林と対戦、第5ラウンドで小林をボディブローで悶絶させてマットに沈める豪快なKO勝ちで防衛を果たし、日本のファンに一級の実力を見せつけた。



減量苦もあり、1976年にはタイトルを返上。この後一時引退するがすぐに復帰。
1978年、11度防衛中のアルフレド・エスカレラと対戦し、13回TKO勝ち。WBC世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)タイトル獲得し2階級制覇を果たす。減量苦から開放されたアルゲリョは8度(7KO)の防衛を達成した後、タイトル返上。
1981年、アルゲリョはジム・ワットの持つWBC世界ライト級タイトルに挑み、ダウンを奪っての判定勝ち。3階級制覇を果たす。このタイトルは4度(4KO)の防衛を果たし、返上。
1982年、当時史上初となる4階級制覇を目論んで、アーロン・プライヤーの持つWBA世界ジュニアウェルター級(現スーパーライト級)王座に挑戦。強打をヒットさせるなど善戦したが、14回にプライヤーの連打に捕まりロープ際で滅多打ちにされ立ったまま失神。TKO負けを喫した。翌1983年の再戦でも10回KO負けとなり夢は叶わなかった。 戦績 88戦80勝64KO8敗

YOU TUBE   http://www.youtube.com/watch?v=S7xYgVysu_E

私が中学2年、ボクシングファンになった時に、エスカレラに勝ってJライト級で2階級制覇! その顔と美しいボクシングスタイルは「リングの貴公子」「エレガントな倒し屋」と言われました。

マイク・タイソンが東京ドームでの防衛戦の時、私は来日していたアルゲリョさんからサインを頂きました。

ご冥福をお祈りします。



気分転換に、今日の昼飯は近くのタイ料理屋でピリッと辛い、トムヤンクンラーメンを頂きました。

 

そして、「レッド・ブル」を飲んで”気合”の注入




午後からの仕事に備えます。


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