yoyo独り言

日常の思いつくままを、
心の整理場所として・・

セネガル便り-224-

2010年10月19日 | セネガル便り
さて成田空港到着。自分は車椅子なので、秘密のルート(一般の出入り口通路でない) を通り、ここにも当たり前であるが、パスポートを提示する場所が有り、約2~3秒でポンポンと。ほとんどフリーパス、そして出口迎えの車で都内の病院へ。
そこでまず看護士さんから質問、生年月日・誕生日・今日は何月,何日・8+7=? 6-4=?朝食は何を食べた? 等。私の状態の確認だと思うのですが、そこでもやはり別棟、その頃、やっと立って歩ける?までになっていました。 がまだ自分の足が地面に着いているのか、右足を前に・・・どうやって? ぐらいの程度です。そして医師からは 「この棟の中であるならば 歩けるのであれば 頑張って歩いてください」 との事でした。又 「この棟だけでなく下の階のレストランで食べていいですよ」 と。それで 《あぁそうなんだ 私煙草を吸っていたんだ。煙草吸ってみようかな」 と。しかし看護婦さんに頼めるわけもなく、売店まで歩く必要が有る。」 これまでは 私の努力でなく 勝手に身体が治ろうとしていただけで 本当の苦しみは (闘い) はここから始まったのである。 リハビリ (手足の機能を取り戻す為に) それはゴールの見えない果てなき作業 (訓練) である。この辺からは 皆様方がよく知っていると思います。



〈地球VOCEの放送スケジュール〉
10月22日・23日
   金曜日 夜 9:54~10:00 テレビ東京
   土曜日 昼11:55~12:00 テレビ東京系列(テレビ東京・テレビ
北海道・テレビ愛知・テレビせとうち・TVQ九州放送)
「地球VOCE」の番組ホームページ: http://www.tv-tokyo.co.jp/chikyu-v/index.html
エンドーさん出演の 《アフリカ最西端の託児所》 が放映予定です。
是非ご覧ください。録画お願いします。

松平郷(豊田市) ぶらぶら -4-大給城祉

2010年10月17日 | 日帰り お出かけ・ドライブ


今回のお目当てはここです。

1468~1486年頃、岩谷山山頂(標高204M)に築かれた山城で、
6代家乗の時、家康関東移封(1590年)に伴い廃城となる。
現在は国史跡に指定され、曲輪・石垣・土塁・堀切が残っている。


山の起伏を利用、巨石が点在、
中世城郭の有様を残しています。
木々に覆われて、鳥の声が響いています。
じっと立って耳をすませていると・・
数百年前の人々のざわめきが聞こえてくるような・・・
確かに生活していた様子が・・感じられます。

     

 の縁のある所です。 世が世ならば・・ かも?

    
 
縁を結ばせて頂いたお礼の気持ちを心にもって、
ドングリを拾いながら、キノコの群生に驚きながら
ユックリ・ゆっくり 城址山道を散策しました。




松平郷(豊田市) ぶらぶら -3-

2010年10月16日 | 日帰り お出かけ・ドライブ

松平東照宮

家康の先祖は新田源氏の末裔といわれ、
初代の徳阿弥は諸国遍歴の末、
松平郷を治めていた松平信重の入り婿となり
松平親氏を名乗った。
親氏は松平城を築き勢力を伸長、
四代目親忠を初代とする安祥松平氏が松平宗家となり
九代目が家康となる。
(パンフレット参照)


境内にある産湯の井戸の水は、
家康誕生時には岡崎城まで運んで
産湯に使ったと伝えられている。
井戸ですが 立派な石の屋根があり
苔むしていました。
今でも水が湧き出ているのかしら?


セネガル便り-223-

2010年10月16日 | セネガル便り
その頃、医師にそろそろ日本の病院に移動する事を告げられる。 告げられるのは別に良いのだが、足も指もまだ満足に動かせない状態。 まっ! いいか。帰国予定は12月30日頃との事。が、しかし 私の身体が上空(飛行機) の気圧に耐えられそうにないという事で延期に。 年が明けて1月14~15日に帰国。それも車椅子で。機内の座席は一つは酸素ボンベ、一つは看護婦さん(フランス人) もう一つが私と 3席分。しかもビジネスクラスで (初めてです。)
こうして私は日本の病院に移動する事になったのです。フランスでの入院中、色々な友人・知人と・・・と見舞いに訪れたそうですが。
本当に申し訳ないのですが、ほとんど記憶にないのです。 とここまでが 自分で生きる事も出来なかった私が、トイレ・身の回りの事がある程度出来るようになり 日本の病院に移るまでの事です。滞在約3カ月でした。その間の出来事として印象に残っているのは2つ。
1つは食事の件で、まだ味覚のはっきりとない頃、病院食が不味くて、例えば 肉・魚・米・ジャガイモ 等まるでビニール又はゴムを食べているようでした。そこで見舞いに来てくれる友人に事情を話し、フランスの日本食レストランから日本食を持って来てくれる事になり、例えば 焼き鳥・カツ丼・寿司等、見た目は日本食ですが、やっぱり味が無いのです。しかし折角持って来てくれたのに 「旨い、旨い」 と 食べた記憶が有ります。しかし、飲料水は本当に旨かったです。申し訳ない。
もう一つは、意識が戻ってしばらくした頃、セネガルからの友人達からの電話である。私が出ると 「エンドーさん、エンドーさん、本当に エンドーさん」 会話にならないのである。私は 「うん、元気で 何?」 と言っても 「よかった・よかった」 と繰り返すばかり。 こんな電話が数回ありました。 私は 「そんなに酷かったの?」 と 本人はいたって元気なのに (自覚が無いだけ) ただ 手・足がまだ不自由なだけで。そしてあれ程お世話になったドクター・看護婦さん達、誠に申し訳ない。顔、覚えていません。 ゴメンナサイ。

松平郷(豊田市) ぶらぶら -2-

2010年10月15日 | 日帰り お出かけ・ドライブ
高月院(豊田市)《家康のルーツ・松平氏の史跡巡り》 です。1367年寂静寺として創建され、松平氏の菩提寺。葵の紋のついた石掘と本堂左手奥に松平墓所も見どころです。平日でしたので 観光客も少なく・・似たようなシニァ夫婦と行き交うくらいです。この山合いの集落で家康が生まれたのですね。家康は天下統一を成し遂げましたが、松平郷はそのまま宗家によって存続、三河各地に分家が広がっていきました。今の季節だからかもしれませんが、ゆったりとした時の流れが感じられます。

松平郷(豊田市) ぶらぶら -1-

2010年10月14日 | 日帰り お出かけ・ドライブ
  
秋まっただ中
お休み日
久々ドライブ・ぶらぶら 開始です。
なかなか難しいのです。
良い気候
良い天気
良い体調
が揃わないと・・・
早々 良いお財布状態も必要ね!!。

今回は 豊田市にやって来ました。 豊田自動車の本拠地、近代的な新しい街づくりになっていますが 少し奥に入ると 時代をタイムスリップしたかのような印象です。稲刈りも始まっています。 高月院からスタート、ゆったりとした時間の中で《徳川家発祥の地》 を散策しました。 続きは明日から・・・お楽しみに!

深夜まで・・・

2010年10月13日 | 仕事の話
おみやげありがとう!!
どちらも好物です。
さて今日の本題は
今夜はケア会議でした。
いつもならコーヒーで3時間・・
(持ち寄りのお菓子)
意見が飛び交うのですが
毎月集めているお茶代が 余っているとの事で
急遽すき焼き夕食となりました。
ワンフロアー10名ほど
前日から買い出し
(こうなると張り切るのね!!)
料理自慢のスタッフばかりですから
ぱっぱっぱっと進むのね。
大きなフライパン二つに、美味しいお肉たっぷりのすき焼きが出来上がりました。
重要事項だけ早めに済ませて 後はわふわふ お食事しながらの雑談、
こんな時こそ 本音が出る?みんな楽しそう・・
利用者さんも今日は静かにお休みされています。
意見がぶつかったり、それぞれの対応に批判的になる事もあるけど
こうして一緒にお食事していると 仲間意識が育つのだなぁ・・と思います。
企画・下準備してくださった方、ありがとう!!
年末まで行事も多く、本当に大変と思いますが 利用者さんの笑顔とスタッフの笑顔がコラポ?すれば とっても力強いホームになると思います。


セネガル便り-222-

2010年10月12日 | セネガル便り


それと 一頃流行った念力・超能力
それくらい遠く感じていました。
以前意識があった頃、又昨日あった事が
現実だったのか 夢だったのか
行ったり来たりとしていました。
例えば昨日見舞いに来てくれたセネガル日本大使館職員の
「~~~さん」 とその他数人
私が目を開けた途端
「万歳! 万歳!」
と、その時 本人は
「えっ 何? 何?」
意識が無くて機械で動かされていた時間、
空白で その頃 私は世界各国を旅していたのである。
すぐには思い出せないよ。
そんな状態で見舞客が帰ると
一人窓を見る。
開け閉め出来ない窓。
外はどんより曇り空、
多分寒そうな景色。
遠くの町に明かりが・・
えっ! あれ電飾?
もうすぐクリスマス?
すると今 12月。
寒いわけだ。