創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・池田大作をブッた斬る-33

2018-03-13 06:57:29 | Weblog

創価学会-池田大作をブッた斬る  藤原弘達 1988=昭和63年
                   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.179)---(以下、本文)-------

<エピロ一グ> 
 創価学会・公明党は、戦後日本民主主義の様々なる虚妄の中でも最も底辺社会に広がり、精神において低劣で醜悪極まる集団として、その第一に指名するに価しょう。それを一身に具現している人間が池田大作にほかならない。
 その低劣さと醜悪さが少なくとも常識をこえ、まさかと思うシロモノだったために、世間の判断を大きく誤らしめた、という表現すらできよう。政治と宗教の分離を謳う新憲法を逆手にとってむしろ一体化の私利私欲を追い続け、権力を使っての言論出版の自由侵犯を通じて、議会制民主主義のみならず、政党政治の構図を下から触んだ大犯罪の様相は余りにもひどい。
 私は二十年以上も前から『創価学会を斬る』をはじめとする批判をやりだして以来、学会・公明党問題は私の仕事の周辺から一日も離れることがなかった。むろん、この二十何年という年月、私は学会・公明党ばかりに日本政治の問題を追ったわけでもなかった。にもかかわらず、私は彼らから瞬時も目を離すことができなかった。それほど、創価学会・公明党という存在は、取り扱い厄介きわまる、病毒細菌入りのビンか爆発物のようなものだった。その知能犯総元締をやってきたのが、池田大作という「同時代人」なのだ。言論出版妨害事件当時から、かえって悪辣でいよいよ危険なものへと変身していった。総ての批判をうけとめながら、これを吸収し、全く逆の方向にねじまげていく知能犯罪性でも№1といえる。

民主社会を蝕むハッ力ー
 その池田大作を「絶対君主」のように神格化する「池田創価党」ともいうべき存在は、今の時点において一体何に譬うべきなのか。
 単なる新興宗教でもない。いや、宗教とさえ呼べない、ともかくケッタイな集団である。日本国憲法の下において信教は自由なのであるから、その成り立ち、教義を云々するつもりはない。
 日蓮正宗・大石寺派は江戸期以来、日蓮宗ー派としての歴史がある。創価学会は、日蓮正宗にとりつき、これを変質させて、今では本山・大石寺を実質支配している存在と私はみる。
 つまり、日蓮正宗を信者組織と経済力で乗っ取ったワケである。
 牧口常三郎を始祖、戸田城聖を二代目、三代目を池田大作として以後は新興宗教でもなく、公明党の看板を出し(というより、公明党は創価学会のダミーとなった)厚顔にも政治に登場してきた。つまりは、創価学会という名の政治的秘密結社が宗教法人の隠れミノをきたといってよいのだ。
 昭和前期の大不況時代に、貧乏寺・大石寺と創価<教育>学会が法華経を媒介として結びつく。戦後のことは知られすぎている。私は学会・公明党に、コンピュータの世界でいわれるハッカーを連想するのである。ハッ力ーは、パスワードを使って他人のプログラムに潜入し、勝手にそのシステムを利用し破壊する。
 日本でも最近、キャッシュ・ディスペンサーのシステムで、他人の預金口座からカネを盗み取る犯罪が発生している。コンビュータ時代ならではの犯罪である。コンビュータ通信にも、プログラムを消してしまう、コンビュータ・ウィルスが問題になっているという。
 創価学会・公明党は、戦後民主主義というプログラムに侵入し、その虚妄につけこみ、民主主義社会システムそのものの破壊者、つまりはハッカー的存在にまで変形した。学会・公明党がハッカーとしていかなる破壊を行なうかは、政教一体の宗教・政治活動の一事を指摘すれば、既に十分であろう。
 ファシズム、ファシストが、いつも暴力的に、威圧的に立ち現われるとは限らない。「微笑のファシスト」だっているのだ。創価学会・公明党は平和と民主主義を盛んに口にするが、その笑顔も、もはや醜く歪み、暗い邪悪の本性を隠しきれなくなった。街中を軍歌を騒音にして走り回る装甲車まがいのトラックに乗った連中ばかりがファシストだとみてはなるまい。
 私が学会・公明党に新たなファシズムの予兆をみて危険を警告したのは、彼らが戦後政治や社会にあえて持ち込んだ「変形」の思想、人間を狐にしたり、力ブト虫にしたり、時に石かカベにかえてしまうような凶悪な精神の作動を覚えるためである。

 信仰の内面的自由はこれを侵してはならない、と憲法に明文化されている。創価学会が頂く日蓮正宗の教義に関しては、他の総ての宗教と同じように、これを信ずる自由がある。しかし、信仰の自由と外的強制力を背景とする政治とは、明確に区別されなければならない。それが、近代社会の大原則だ。この大原則が破られる時、言論の自由も信教の自由も合わせて死ぬ。
 創価学会・公明党がハッカーとして民主主義社会において犯罪的であるのは、右の政教分離の大原則をふみにじり、民主的社会のシステムに内からの破壊をもたらすからである。

創価学会的ニヒリズム
 マスコミの一部にも、依然として極端な学会追従派が今なお存在し、そういう役割に大いに貢献している。
 創価学会取材記事の中で、「女子部部員の目が、総てイキイキとして、美しい信仰の光がある」などと書く。文化祭でグラウンドのマスゲームやスタンドに描く人文字を、全く無批判にひたすら賛美する。マスゲームや人文字の見事さならば、創価学会に限ったことでないだろう。
 一糸乱れぬ整然たる動きも同様であろう。
 ヒトラーのべルリン・オリンビックは「民族の祭典」と謳って国家的な大デモンストレーション効果を狙った。マスゲームの統制美などを讃える感覚は、ヒトラー的後遺症そのままなのだが、女子部員の目が総てイキイキして美しい信仰の光があるなど、むしろ不気味なニヒリズムというほかない。
 戦後強くなったのは女と靴下--これは私ではない。故・大宅壮一の言葉だ--その靴下とは、女のナイロンストッキングを指した。つまり、メイド・イン・ジャパンのシルクが凋落しナイロンが登場したということ、昭和の戦前と戦後を画然と分ける象徴的な寸言である。
 靴下が強くなったのは、まことはっきりしている。戦前、サラリーマンの女房族は、穴のあいた亭主の靴下を電球にかぶせてかがったものだそうだが、今、靴下の穴かがりなどやる女房がいるだろうか。ストッキングにおいては、日本の養蚕業は完全に斜陽化してしまった。クモの糸より細く鋼鉄より強く、がナイロンのキャッチフレーズだったことは、あまりにも有名だ。
 さて、女はどんなふうに強くなったかというと、甚だ説の分かれるところであろう。婦人運動家の女史連中によれば、日本はまだ男性社会の時代で、女の立場は弱いという。男女雇用機会均等法なんてものが戦後四十年近くもたってようやく陽の目をみたのがこの国の実情ではないか、という。
 男の側から、女が強くなったことを象徴する奇妙なアネクドート(逸話)がある。作者は不詳。
「明治は、女が強いも弱いも論外の時代。大正デモクラシーで女は目ざめたというが、強くはなれない。
 電車に乗る時、男に押しのけられると、うらめしそうな顔で退くばかり。
 戦争になり軍需工場に動員されて、兵隊サンハ命ガケ、アタクシタチハ襷ガケといった具合で頑張った。その分、強くなって、バスや電車で男が割り込むと、女はニラミつけるようになった。
 戦後の女は、元気印しの女がふえた。バスや電車で男がへタに割り込んだら、蹴とばされる」
 これが戦前、戦中、戦後の移り変わりなんだそうである。
 そういう、男が蹴とばされる時代になって目立つのが、女性のグループ行動だ。保守党政治家の後援会は、爺ちゃん婆ちゃん含めても圧倒的多数は女である。カラオケ・スナックで元気がいいのもオバさん、ママさんたちだ。招待観劇会も海外団体ツァーも、ご婦人、OLさま御一行ばかり目につく。
 こんなことをいうと、フェミニズムの闘士に噛みつかれそうであるが、とにかく目につく女性パワーだ。
 そして、スジ金入り女性パワーの出番である。創価学会婦人部、女子部も、このスジ金入り女性パワーにあたる。議員後援会や招待観劇会やカラオケ好きのオバさんたちとは、一味違ってくる。
 創価学会婦人部、女子部は、池田大作にエロスを感じるとか。ともかく池田にある男の“放射能”は婦人部、女子部員になんらかのエロスを感じさせるようだ。つまりは模擬恋愛だ。ことに、女子部員においてはそれがやたらとハバをきかす、と推測できる。その点では池田大作は、戦後のどの新興宗教の教祖よりもスター的存在といえるだろう。青年部と並んで、女子部は池田親衛予備軍、もしくはプールなのだ。
 池田の講話を聞きながら感動して、「一生、結婚なんかしない」と誓ったりする女子部員もいるらしい。これも、池田大作が発散するオトコの“放射能”のせいであろう。群小新興宗教にも、ここまでのカリスマ的“放射能”を出す教祖はザラにはいない。
 ただし、池田の場合は教祖的というより、絶対的な存在、つまり“教皇”を感じさせる組織的雰囲気が会員の精神を支配しているということ。もっとも、学会の青年部、女子部の中からスジ金入り女性パワーが生まれてくるといっても、そのままヒトラーユーゲン卜みたいには成長はすまい。男の方、青年部にしても、ヒトラーユーゲントはおろか、三島由紀夫の楯の会にもまずなるまい。せいぜい学会内の池田親衛ガードマンというにとどまる、と私はみている。
       ---------(185P)-------つづく-- 

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