今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

平清盛の寵愛を受けた白拍子・祇王の忌日

2007-02-14 | 人物
今日2月14日(旧暦)は、『平家物語』に登場する、平清盛の寵愛を受けた白拍子・祇王(妓王=ぎおう)の忌日。
白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。
素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。白拍子は、男性、女性とも舞うが主に、女性、子供が舞う舞でもある、このうち、遊女が男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになった。白い直垂(ひたたれ)・水干(すいかん)に立烏帽子(えぼし)、白鞘巻の刀をさすという男装で歌や舞を披露した。伴奏には鼓、時には笛などを用いた。
後に、猿楽などへと変貌していった。後に早歌(そうが)や曲舞(くせまい)などの起こる素地ともなった。また延年にも取り入れられ、室町時代初期まで残った。白拍子を舞う女性たちは、遊女とはいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、身分や見識の高い人が多く、平清盛の愛妾となった祇王(ぎおう)や仏御前(ほとけごぜん)、源義経の愛妾静御前(しずかごぜん)など貴紳に愛された白拍子も多い。
平家物語』巻一に「祇王」という段がる。白拍子の祇王(ぎおう)は、清盛に寵愛されていたが、そこへ突然、祇王よりも若い白拍子の仏御膳(ほとけごぜん)の出現によって清盛から捨てられ、母の刀自(とじ)や妹の祇女(ぎにょ)とともに嵯峨に隠棲する。
清盛の仕打ちを見た仏御前は、やがてわが身の上と考え、愛の無常を悟って出家し、嵯峨に祇王を尋ねる。4人ともに嵯峨の草庵で念仏三昧の生活を送り、ついには、みな往生の素懐を遂げたという有名な一説である。
しかし、祗王は清盛邸を追い出される時に障子に『萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき』の歌を残して去っている。
歌の意味は、あなたも、私も、同じ白拍子の身、時めいていらのは今だけ。いずれ私と同じように清盛に捨てられるよ。・・・といったところだろうが、これは自分より若い仏御膳への忠告ともいえるが、なんとなく嫌味であり、祇王の恨みの気持ちもあらわれているよね。
兎に角、この一説は、本来『平家物語』には、なかった部分で、念仏比丘尼などのような人々に、伝承された物語が取り入れられたものといわれている。
この段の詳しいことは、以下参考の「平家物語 総目次」を読むのも良いが、以下がお勧め。
京都大学附属図書館所蔵 奈良絵本コレクション [妓王]
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/n45/index.html
本書は葉子十行本『平家物語』に近い本文である。挿絵入りで内容をまとめている。思い切り省略したところもあれば、くどくど描写したところもあるが、通読すればだいたいのあらすじがたどれるようになっている。坤巻末では、祇王ら四人の往生を語り終えたあと、弥陀本願・念仏による往生をすすめる文言が付される。
それはともかく、この段には、中世の『平家物語』を考える上で重要な、音声の持つ力について暗示する部分があるという。
『平家物語』は、中世を通して琵琶法師によって語り継がれた。作者説として最古のものは吉田兼好の『徒然草』の有名な一節にも伺えるように、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)なる人物が、生仏(しょうぶつ)という盲目の琵琶法師に語らせたということが記されている。14世紀には、琵琶法師の中から、明石検校覚一という人物が現れて、平家語りの一流をおこし、その語りの台本を定めた。これが私達が普通読んでいる、『平家物語』である。この語り本の覚一本では、「祇王」の末尾に「されば後白河の法皇の長講堂の過去帳にも祇王、祇女、仏、刀自らが十尊霊と、四人一所に入れられけり」とか書かれているそうだが、それに対して、読み本系の『平家物語』では、「長講堂ノ過去帳ニモ、祇王、閇(とじ)、仏トカカレテ当代マデモヨマル、承ハレ」(南都本)、「さてこそ後白河法皇の長講堂の過去帳には、今も祇王、祇女、仏、閇とは読まれけり」(延慶本)などとなっている。「ヨム」という動詞は、『万葉集』に、「時守の打ち鳴す皷よみみれば」などと用いられているように、古くは継起するものを一つひとつ数える事を意味した。この意味では、後世「秤の目を読む」「銭を読む」などのようにも用いられるが、他方で、書かれたものを声を出して唱誦(しょうじゅ)する意味にも用いられるようになる。「過去帳を読む」は、今日のような単なる黙読ではなく、右のヨムの2つの意味を兼ねもっていて、過去帳に書かれた過去の人々の名を、順次に一つ一つ手繰るように声を出して唱誦することであったらしい。過去の人々の名を声を出して一つ一つ読見上げる事は、過去の人々の精霊をその場に示現させることであり、この当時、音声はこのような力を持っていたらしい。
祇王の段に、覚一系の語り本が過去帳を「読み上げた」としていないのは、語り本がもともと琵琶法師によって語られることを予想した台本であったからで、その語りによって過去帳を読み上げるのと同じ効果を上げる事が出来たためであるといわれている。
白拍子などは、今様の歌で舞うところから人気を得ていた。今様とは今日風・現代風の意味であり、歴史的には、平安時代中期から鎌倉時代にかけて,宮廷で流行した歌謡のことを指し、これを「今様歌」といい、今様はその略であるが、以前からの歌(古様)、神楽歌(かぐらうた)・催馬楽(さいばら)などに対して、当代最新(今様)の流行歌という意味なんだよね。今様は主に七五調四句の形をとり,当時は長いくせのある曲調が特徴と感じられたようだ。
平安時代末期には後白河法皇が愛好したというよりも、熱中し過ぎて、『平治物語』によれば「今様狂い」と称されるほどの遊び人であったようだ。
後白河天皇といえば、保元の乱平治の乱、平氏政権の成立と滅亡、そして鎌倉幕府の成立という激動の時代の朝廷を支ええてきた人物ではあるが、自分の政権維持のために、平家や木曾義仲ら武士勢力を利用しては、その存在が邪魔になると討伐という形で使い捨てを続けた事から、源頼朝からは「日本国第一の大天狗」(吾妻鏡と酷評(ただし、近年この大天狗の表現は、院近臣高階泰経を指したのではないかとする説も出ているそうだが)され、鳥羽法皇からは「イタクサタダシク御遊ビナドアリトテ、即位ノ御器量ニハアラズト思召… (愚管抄)」と呆れられるなど一筋縄ではいかないお方であった。
そのように酷評された天皇ではあるが、庶民とも交わり、庶民のエネルギーに触れた。「京の男女、所々の端者(はしもの)・雑仕(ぞうし)・江口(えぐち)・神崎の遊女、国々の傀儡(くぐつ)」に至るまで、「今様をうたふ者」と聞けば召し出し、共に歌ったという(週間朝日百貨「日本の歴史」)。その歌謡を彼が分類編纂したのが、『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)十巻であり、今様の口伝(くでん)を収録した『梁塵秘抄口伝集』である。
今様は東海道、の宿々や瀬戸内海の津々浦々の遊女歌い手たちをとして、成長した歌謡であり、『秘抄』には、広く諸国の歌が残されているが、京を扱った歌も多い。
このごろの都(みやこ)に流行るもの
肩当 腰当 烏帽子止め(とどめ)
襟の立つ型  錆の(さび)烏帽子
布打(ふうち)の下の袴 四幅(よめ)の指貫(さしぬき)

このごろ京に流行るもの
わうたい髪々 えせ鬘(かずら)
しほゆき 近江女(おうみめ) 女冠者(おんなかじゃ)
長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞなき
・・・この今様は、後の二条河原落書につながる内容である
(週間朝日百貨「日本の歴史」掲載分より)。
(画像は:「静御前」菊池容斎:画。明治時代。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
白拍子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%8B%8D%E5%AD%90
梁塵秘抄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%A1%B5%E7%A7%98%E6%8A%84
平家物語 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
平家物語 総目次
http://www.st.rim.or.jp/~success/heike_index.html
白拍子:祇王と仏御前(平家物語)
http://blog.hix05.com/blog/2007/01/post_79.html
万葉集 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86
祗王寺・真言宗大覚寺派
http://www.k3.dion.ne.jp/~biken/resume_old/gioji.htm
祇王井川/野洲川分流/淀川水系一級河川(部分)
http://agua.jpn.org/biwa/yasu/gioui.html
《講演》 琵琶伴奏で唱われた法文歌 密田靖夫 佛法讃歌としての「梁塵秘 ...
http://www3.ocn.ne.jp/~shoonen/kouen200011.html
祇王(ぎおう) | 曲目データベース | 能楽事典 | 社団法人 能楽協会
http://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/program/detail/70/22//
京都大学附属図書館所蔵 奈良絵本コレクション [妓王]
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/n45/index.html
今様 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%A7%98
文化史05 今様
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka05.html
今様について
http://www.ren-produce.com/imayounituite.html
吾妻鏡 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E5%A6%BB%E9%8F%A1
愚管抄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E7%AE%A1%E6%8A%84
愚管抄 第四巻
http://www.st.rim.or.jp/~success/gukansyo04_yositune.html
二条河原の落書 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E8%90%BD%E6%9B%B8
白拍子・延年の歌舞(うたまい)」
http://www.geocities.jp/onariiti/onari7dainibusyousai.htm


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