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大岡政談として有名な「天一坊事件」の首謀者修験者源氏坊改行が鈴ヶ森刑場で処刑された日

2007-04-21 | 歴史
1729年 の今日(4月21日)、大岡政談として有名な「天一坊事件」の首謀者天一坊のモデルとなった、修験者源氏坊改行が鈴ヶ森刑場で処刑された。
鈴ヶ森刑場は、江戸の北の刑場である小塚原刑場に対して、南の刑場として1651(慶安4)年に旧浜川町(東京都品川区南大井)の南の一本松と呼ばれるところにかって設置されていた刑場である。東海道の西側すぐ脇に当たる場所で、一本松の獄門場ともいい、鈴が森というようになったのは隣接する不入斗(いりやまず)村(現大田区)に鈴森八幡(現岩井神社)があったことによるという。間口40間(74m)、奥行き9間(16.2m)という広さがあり、閉鎖される1871(明治4)までの220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われているが、明確な記録は残されていないそうだ。
「おそろしや罪ある人の首玉に つけたる名なれ鈴が森とは」
これは、十返舎一九の東海道中膝栗毛に出てくる弥次郎兵衛が、鈴が森の刑場のあたりにきて詠んだ一句であり、猫の首に鈴をつけるのもじったもの。
鈴ヶ森刑場は、当時の東海道沿いの、江戸の入り口とも言える場所にあるが、刑場設置当時浪人が増加し、それにともない浪人による犯罪件数も急増していたことから、江戸に入る者、とくに浪人たちに警告を与える意味で、さらし首や処刑が通行人に見えるようにこの場所に設置したのだと考えられている。
最初の処刑者は江戸時代の反乱事件慶安事件の首謀者の1人丸橋忠弥であるとされている。反乱は密告によって未然に防がれ、忠弥は町奉行によって寝込みを襲われた際に死んだが、改めて刑にされた。
その後も、よく知られているところでは、平井権八(芝居では白井権八。以下参考の「平井権八伝説と実録・読本」参照)や天一坊浜島庄兵衛(盗賊・日本左衛門として知られる)八百屋お七といった人物がここで処刑されたが、なんと言っても有名なのが『大岡政談』に出てくる天一坊事件のの首謀者天一坊であろう。将軍・徳川吉宗が部屋住みの頃親しんだ沢の井の生んだ子になりすました宝沢(ほうたく)が、吉宗のお墨付きと短刀を証拠に、徳川 天一坊として江戸に乗り込み吉宗との対面を試みた。その影には軍師として徳川光圀に謀反のかどで手討ちになった藤井紋太夫の子赤川大膳がいた。2人は大膳の叔父常楽院天忠(じょうらくいんてんちゅう)と山内伊賀亮(やまのうちいがのすけ)を仲間にして、各地で金品を騙しとり、上京、高輪の旅宿に「徳川 天一坊殿御宿」と表札を立てる。吉宗、重臣らも実子と認めたが、大岡忠相の活躍により天一坊はにせものと判明した。享保13年8月と『大岡政談』には記されている。歌舞伎錦絵は以下で見れる。
浮世絵閲覧システム - 天一坊大岡政談
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&gedai=%C5%B7%B0%EC%CB%B7%C2%E7%B2%AC%C0%AF%C3%CC
この事件は、後に講談『大岡政談』に取り入れられ大岡越前守の名裁きのひとつとされた。しかし、実際には大岡越前守はこの事件には全く関係していない。
この有名な「天一坊事件」は、実際にあった「源氏坊改行事件」(修験者源氏坊改行が徳川吉宗の御落胤と騙って、金品を騙し取ったため捕らえられ処刑)に粉飾したもので、この一味は品川で関東郡代に逮捕され、評定所で吟味を受け、大目付立会いのもと、勘定奉行稲尾正武から1729(享保14)年4月に判決申し渡りがあり、4月21日に死罪の上、獄門となったもの。当時の品川はまだ町奉行管轄の江戸府内の外にあった。品川が府内に繰り込まれたのは、4 里内外を府内と定めた1788(天明8)年以降であり、それまで関八州内江戸府外を管轄したのは勘定奉行配下の関東郡代伊奈家や代官であった。
歌舞伎黙阿彌作の「扇音々(あふぎびやうし)大岡政談」によつて今も屡々上演を繰返されているが、その原作は江戸時代末期の講談師神田伯山の講談『大岡政談天一坊』である。
史学的検証から、数ある大岡政談のうち、実在したのはこの天一坊事件と1727(享保27)年の「白子屋お熊事件」(舞台などでは白木屋お駒)のみであり、忠相が町奉行時代に実際に裁いたの白子屋お熊の裁判くらいなものであるといわれている。
天一坊が自らが後落胤と名乗ってから、何故か、捕らえるまでに半年を有している。だから、天一坊が自らが後落胤と名乗る何らかの証拠があったのだろうと幕府側も、証拠を覆すまでにそれだけの月日を要し、そのような、即座に否定もできない当時の幕府の姿勢を見て、江戸の庶民も これは本当に後落胤かも知れない と思ったかも知れない。
法律家であり、探偵小説家でもあった、濱尾四郎の短編『殺された天一坊』では、冒頭に、「あれ程迄世間を騒がせた天一坊も、とうとうお処刑(しおき)となって、獄門に梟(か)けられてしまいました。あの男の体は亡びてもあの悪名はいつ迄もいつ迄も永く伝えられる事でございましょう。世にも稀な大悪人、天下を騙(だま)し取ろうとした大かたり、こんな恐ろしい名が、きっとあの男に永く永くつき纏(まと)うに違いございませぬ。私のようなふつつか者が廻らぬ筆をとりましたのも、その事を考えましたからでございます。私からはっきりと申しますれば、あの男こそ世にも愚かな若人(わこうど)なのでございます。けれども決して大悪人ではございませんでした。ああした不思議な運命に生みつけられた人間はおとなしく此の有難い御治世の、どこかの片隅にじッと暮して行けばよかったのでございましょう。天一坊は此の世の中というもののほんとうの恐ろしさを知らなかったのでございます。真実の事実を有りの儘に申す事、もっとむずかしく申せば真実と信じた事をはっきりと申すことが、此の世の中でどんなに恐ろしい結果を招くかという事をあの男は存じませんでした。だからあの男は愚者でございます。世にも稀な馬鹿者でございます。それに、自分の正しく希望してよい事を、はっきりと希望した、というのもあの男の考えが至らぬ所でございました。此の世の中は法というものばかりでは治められぬ。いいえ、時によっては法というものさえも嘘をつくという事を知らなかったのでございましょう。あの男は気の毒な愚かな、しかし美しい若人でございました。」・・・とある女からの奉行宛の書状は始まっている。そして、「あの男はただ父親に会いたかったと申して居ります。それはそうに間違いございますまい。けれど御奉行様に致しますれば、それはただそれだけの意味にはならないのでございます。御奉行様は世の為に此の哀れな人の子を其の親に会わしてやることはお出来にならなかったのでございます。お調べの結果は、御奉行様の為にも、又天一坊の為にも余りに悲惨すぎて詳しく申し上げる言葉もございませぬ。御奉行様の御取り計らいで、天一坊は全く偽者なる事に定りましたのでございます。「天下を欺す大かたりめ」之が御奉行様が最後に天一坊に仰言ったお言葉でございますが、いつもに似ず御声に慄えを帯びておいでになったそうでございます。」と最後の方で述べているが、吉宗にも天一坊のような子供が出来ても仕方のないだけの所業があり、天一坊は真実吉宗を父親と信じているが、周りのものがそれを利用し少し、お金にしただけなのに死罪の上獄門に処したことで、天一坊への憐れみとそのような祭壇をしなければならなかった奉行への同情まで示している。
天一坊は「悪人だから処刑になったのか?それとも処刑になったから悪人なのか?」。徳川吉宗の落胤だと主張し、世間を騒がせただけの天一坊を「天下の御為」に裁く・・・」。人が人を裁くことの理不尽を描いている。なかなか面白いよ。短い文なので一度読んででみたら。
濱尾四郎『殺された天一坊』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000289/files/1796_22485.html
それにしても、日本もアメリカなどと同じ様に、一定の刑事裁判において、国民から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加する裁判員制度が2009(平成21)年5月に開始される予定。何時我々が、天一坊事件のような、どこまでが本当で、そこまでが嘘かわからないような裁判に参加しなければならないかわからない。そんな時どのような判断が下せるか・・・?。
(画像は興行名: 扇音々(あふぎびやうし)大岡政談に出てくる悪役たち。左: 山ノ内伊賀亮 初代市川左団次 中央:天一坊 は、5代尾上菊五郎。右上、赤川大膳 :中村仲太郎 妹宮香:尾上いろは )
大岡越前の日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%C5%B7%B0%EC%CB%B7
天一坊事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%80%E5%9D%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
鈴ヶ森刑場 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E3%83%B6%E6%A3%AE%E5%88%91%E5%A0%B4
鈴が森刑場跡/歴史の足跡
http://bird.zero.ad.jp/~zam77093/keijo.htm
作家別作品リスト:No.289作家名:浜尾 四郎
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person289.html#sakuhin_list_1
常楽院(ジョウラクイン)の謀議(ボウギ)/谷汲村の昔話(キャッシュ
http://cscns.csc.gifu.gifu.jp/tiiki-hp/tanigumi/mukasi/3/4.htm
平井権八伝説と実録・読本
http://koneeta.hp.infoseek.co.jp/gonpati.html
浮世絵閲覧システム - 天一坊大岡政談
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&gedai=%C5%B7%B0%EC%CB%B7%C2%E7%B2%AC%C0%AF%C3%CC
浮世絵閲覧システム ・日本左衛門
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&haiyakukensaku=%C6%FC%CB%DC%BA%B8%B1%D2%CC%E7
浮世絵閲覧システム ・白井権八
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=10&haiyakukensaku=%C7%F2%B0%E6%B8%A2%C8%AC
浮世絵閲覧システム ・藤井紋太夫
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&gedai=%C2%AF%C0%E2%C8%FE%C3%CC%B2%AB%CC%E7%B5%AD
浮世絵閲覧システム ・白木屋お駒
http://enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&haiyakukensaku=%C7%F2%CC%DA%B2%B0%A4%AA%B6%F0
日本左衛門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
東海道中膝栗毛
http://www.hara-s.or.jp/yajikita/yajikita_flame.htm
裁判員制度 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6
鈴ヶ森刑場
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011532/Suzuexe.html
鬼平犯科帳と江戸名所図会
http://homepage3.nifty.com/onihei-zue/

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2 コメント

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有栖川宮 (Linda)
2007-04-23 09:05:04
よーさん、お早うさんです。
有栖川宮の事件を思い出しました。今でも騙される人が居るのですねえ。騙すほうも騙されるほうも欲と相談かも知れません。
詐欺 (よーさん)
2007-04-23 09:24:52
Lindaさん、お金に纏わる詐欺で騙される人はミな欲の深い人でしょうね。

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