セックスが好きです。

セックス・性癖・愛撫・コミュニケーション…。とりあえず、女性と会って、Hをしたことについて、色々。

女性への劣等感

2006-06-08 11:46:48 | garbage
ある女性とチャットをしていたとき、僕はセックス依存症なんじゃないかと思い始めました。「すれば何とかなる」という意識があったことを覚えている。誰かとセックスしたい、したい…とね。それが、この間の×1・34歳の女性へのメールにつながったり、セフレとの関係を戻してしまったり、まだ相手を見つけようとしたり…。こんな自分がたまに息苦しくなることもあります。

陰鬱な10代の自分と、恋愛・劣等感etc...

一般常識ですが、これがわからなかった。なぜだろう・・・。それは、「女性への劣等感」があったからかもしれない、最近そう思うようになってきました。中学・高校と私は奥手でしたし、目立たない存在だった。唯一音楽のことは良く知ってるよね、くらいの印象は周りにもたれていたかもしれない。自分から関係を拒否していた部分もあるし、個人的に非常に閉鎖的な空間に閉じこもっていたこともあった。

今考えてみれば高校のころ、体育祭には出たことが無かった。高校1年生のころは、友達と「めんどくさい」の一言で屋上で昼寝をしながら女子の着替えを除いてた。2年生のときは、なんだかわからないけど出た覚えが無い。3年生のころは、学校をサボってた。

修学旅行も適当にやってた。あらゆることがめんどくさい、そんな時代だった。好きな女の子はいたけど、結局彼女はできなかった。告白もしたことあったけど、振られてたし、周りから見ても「実態のはっきりしない」僕が恋心を成就できるような位置にあるとは、思えなかったのだと思う。よく友達に止められた。「ダメだと思うけど、やってみたら」というのが、友人たちの意見だった。

女性との距離や、女性との話が、そのころ心底面白いと思ったことは無かった。「いったい何を言ってるんだろう」。後に、カミサンにいわれた。「かわいい女の子って、恐らくあなたの話には興味ないと思う。あなたも、同じに、かわいい女の子の話には興味が無いわ。」。

そういう、わけのわからない存在である中でも、「恋愛」をしたくて、誰かが好きになりたくて、一応「好きな人」ってのはいたつもりだった。けれど、どれも高嶺の花で、告白したり、デートしようとしたりしても、全部ダメ。深く傷ついたのは1度だけで、あとは、「そっか、だめか」くらいだった。でも、今でも覚えているのは、目を見てちゃんと話せていただろうか・・・と言うこと。
ここに、僕の女性に対する劣等感はある。「きっと相手にしてくれないけど、好きになってしまった」という後ろ向きな反応に。

セックスへの依存

今、そのころの経験を取り戻すかのように僕はセックスしているんだと思う。本当に幼稚だと思うが、その頃の陰鬱とした世界を忘れるかのように求めている。それでも、あの頃のものとは同じことをしていてもまるっきり違う。あの頃できなかった自分、あの陰鬱な時代の自分、それ自体を今なにしようとしても、殆ど意味を成さないってことが、やっとわかり始めた。ちょうどその頃、「僕はセックスで何かを解決しようとしている。セックスに依存している」って思い始めた。

それでも、当時と変わったのは、気後れすることは無くなったし、いちいち自分の外見を気にする(大して気を配っているわけでもないのに、女性の前に行くと気になる)ことなど、当時からはがらりと変わっているかもしれない。それは、自分が静かに誰にも語らず持ち続けていた価値観が、大学生になり、いまの女房と付き合うようになり、社会人になり、という一連の生活の中で、「間違ってなかったかもしれない」と自分で思うことが多くなってきたからだろう。

価値観は、壊されては、また復活し新しいものになってゆくということを繰り返すものだけど、僕は高校生の頃は、恥ずかしさや、性格的なもの、周りからの目、周りからのキャラクタ設定にどっぷりつかっており、そこを克服することができなかった。今考えても何かが間違ってしまったのか、僕は14歳くらいの頃から、思考がとまったままのように錯覚して当時を思い出すことがある。14歳の頃から、自分の外にある現象に著しく興味を失っていった。自分の内面だけで、いろいろなものが育っていった。

その中で女性観も育っていったが、外界のそれとはもちろんギャップがある。そこに、勝手な劣等感を持ち、また自分の殻に持ち帰るのだった。

今の僕と、昔の僕と、セックスと、女性への劣感。

今の僕は、当時とは恐らくまったく違うように見えるかもしれない。しかし、内面は殆ど変わっていない。カミサンはそのことを知っている。ただ、昔の僕が本当に内面的に抱き続け、まだまだ解決できていない部分をセックスによって解決しようとしてしまっている、困った体であることは、もちろんしらない。

昔の僕が、いまの僕を見たら、どういうだろう。うらやましいって思うかな。思わないって思う。でも、不思議なのは、いまの僕はその過去の僕の延長なのだ。その陰鬱さがゆえに生まれた性格であり、それがいまの私なのだ。

女性への劣等感は、まだある。恐らく、まだ足元にべたっと横たわっている。しかし、それが劣等感ではなく、「女性っていうのは、そういうものだ」という理解に変わってきたのは、もしかすると進歩かもしれない。誰を見ても、昔ほどの劣等感を持つことはなくなってきている。

ある意味、これは、セックス依存の功罪なのかもしれない。「女性なんて、みんな一緒だ、」とどこかで思っているのは、女性を抱いて、セックスをして、終わったあとに、みんな一応に同じ顔をする子をとやっと理解したからかもしれない。自分がほしい、本当の安らぎなんかそこには無いのだ、という。

2 コメント

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Unknown (りん)
2006-06-10 16:59:03
私もかなり乳輪でかいです コンプレックスです でも乳輪でかいのが好きな人がいるんですね!心強いです。
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コメントありがとう。 (yourgoldteeth)
2006-06-15 23:50:42
コメントありがとう。乳輪が大きいの、僕は大好きです。存在感があるおっぱいが大好き。

自信持ってください、というか、マイナス要因ではないってことは理解してくださいね。好きな人もいるんですから。それが。
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