分析は適正か?

2016-12-22 15:45:17 | エンタメ
この分析には、些かおかしな事を感じる。
威哥王
すなわち、Twitterのみを調査対象としているからだ。
最近の投稿は、Twitterのみならず、LINEであったり、Facebookであったり、或いはこのmixiであったり、様々なルートが有る。

また、その投稿形態も、相手別や公私別など、多岐に渡ることが知られている。

つまり、クリスマス=公的な諸君と、クリスマス=私的な諸君とが別の投稿形態を取るようになれば、当然に個々の件数は減少する。

Twitterの投稿総数そのものが大きく減少していれば、同じ比率でクリスマス関連の投稿が減少するのもまた当然。

つまるところ、全体像ではなく、都合のいい一部分だけを切り取った分析に、どれだけの精度が認められるかということだ。
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仮にだが、Facebookでの投稿数が倍増していたならば、このクリスマス離れなる現象は、Twitterにおいて減少しているにすぎないということになるだろう。


とは言え、クリスマスの出自を考えれば、この傾向は当然だろう。

すなわち、クリスマス=キリストの生誕日と言うのは、初期キリスト教が設定したに過ぎず、本当にクリスマスに生誕したかどうかは全く定かではないからだ。

このクリスマスに相当する日は、もともとゲルマン人の伝統的な宗教における太陽の復活を祝う冬至祭に由来するとされる。
そして、この頃の暦では冬至の日を新年の始まりとしている。

この冬至をして新年の始まりとするのは、北半球においては比較的普遍的な現象のように見える。

その後1年を365.25日とするユリウス暦が採用され、4年に1度の閏日が設けられるようになったが、それでも暦の誤差が生じ、現在主流になっているグレゴリウス暦(400年に3回、閏年を採用しない)に変わっている。だから、1896年の閏年の次は1900年ではなく1904年だし、2096年の閏年の次は2104年となる。

クリスマス・イブも、ゲルマン人の暦が日没を日付の切替としていたものを、午前0時で切り替えることにしたために生じた6時間あまりのズレを残したにすぎない。
これは、この国でも同じ。
今は「年越しそば」は除夜の鐘を聞きながら夜中に食べるという諸君がいるが、もともとは日没で日が切り替わる。
つまり夕暮れの鐘を聞きながら、年越しそばをかっこみ、薄暮の中初詣に行くというのがもともとのあり方。

冬至=元旦、冬至=クリスマス、という2つの流れがある以上、いずれこの2つが擦り寄ってくるのは当たり前だろう。

つまり、暦や天体現象とは関係なく、冬至=クリスマス=元旦という思潮が強まれば、年末年始行事として一体化する。

クリスマス離れ、ではなく、クリスマス~初詣を一連の行事として行動するようになれば、当然、その一部たるクリスマスの比重は低下しよう。
所詮、外来の行事。
”日本化”の過程で大きく変わるのは当然だ。

だから、私は、昨今流行りのハロウィンも、100年もすれば現在の勤労感謝の日や新嘗祭、或いは秋祭りに収斂していくのではないかと思っている。
ちょうど灌仏会と桃の節句との関係のように。
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