京都には油(掛)地蔵が三体あるそうです。他にもあるのかも知れないけど
、私が知る限りでは三箇所。その一つが右京区油掛町のお地蔵さんです。
(他は伏見区西岸寺と、右京区長福寺前。私はまだ未確認ですが)
山崎から油の行商にきた男が地蔵の前でスッテンコロリところんで、油を
こぼしてしまったそうです。普通なら、
「あ~、油は売れんし、おまけにころんでしもて、わやくちゃやがな~」と思う
ところですが、この男はポジィブシンキングの持ち主でした。
「こうしてころんでも、怪我が無かったのはお地蔵さんのおかげや。ありがた
いこっちゃ。ちょっと残ったこの油、お礼に掛けてしんぜましょ」と石仏に掛けて
帰っていったそうです。(なんでお礼に油を掛けるのか?はサテおき。)
その後、男は商売繁盛、以来地蔵の前を通るたび、油を掛けて祈ったとか。
(これは伏見区西岸寺に伝わる由縁です。)
それにあやかろうと、人々もきそって油を地蔵に掛けて祈願した、という話
ですけど、どうして市内に三箇所も油掛地蔵が存在するのか?
当時、油は貴重品で、それを地蔵に奉納することによってご利益を得る、と
いうことは、その油を回収して収益とするためのシステムがあったとしたら?
収益で無いとしても、街角に立てられていた常夜灯の油として活用していた、
としたらナイスアイデアですナ。
と、すれば当時はいたる場所に油掛地蔵が存在していたのかも?なんてのは
ワタクシのアサハカな推測ですけどね。
この嵯峨の油(掛)地蔵は昭和51年に300年ぶりに油がぬぐわれ、延慶三年
(1310)の造立であることが判明したそうです。
その現場に立ち会った人の随筆を以前読んで、いつか訪ねてみようとは思って
いたのですが、なかなか機会がありませんでした。
今回は「ルルゲさん」を探索中に、たまたま遭遇しました。なにしろこの迷所案内
は、いきあたりばったりというか、思いつきで迷走していますから・・・・・。
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