以前の棲みかからは比較的便利な場所にあった歯医者さんも、南区住民と
なった今では通院が大変です。
しかしそれも後わずか。来月1日には念願の前歯が完成!
その後はこの植物園近辺に来ることも少なくなると思います。
最後に植物園を訪れたのはいつだっただろう・・・・。
花見をしようと思ってもアルコール持込禁止だし、足は遠のいてしまいましたね。
ところでこの植物園がどのようにして誕生したのか?
今のようにエコだのなんだの言われなかった時代に、こんな大きな植物園を
残した京都府政のスンバらしい先見の明。
と、言いたいトコなんですが・・・。
実は大正天皇即位大典をきっかけに、京都はいろいろなイベントを企てたんですね。
その一つが「大典記念京都博覧会」。その予定地が当時下鴨村と呼ばれていたこの土地
なのです。広さは24万平方メートル。いくら土地の安い時代とはいえ24万平方ですよ。
そして華々しく「京都博覧会」は開催された・・かといえば予算不足でオジャン。
昔も今も公共事業の無駄使いは変わりませんなぁ。
結局三井家からの援助で植物園として活用されることになったそうです。
そんな植物園内にある「半木の森」。かつて西賀茂の森にあった神社三座のうちの一座
が洪水によって流されこの地にとどまったそうです。
それで「流木神社」と呼ばれ、上賀茂と下鴨の中間にあたるので「半木」(なからぎ)
と称された、という話です。
もし、博覧会が実施されて、その後この土地が民間に払い下げられていたら、
ひょっとしたら、この森も社も消滅していたかも知れませんね。
写真は植物園入り口、鴨川堰堤にあるモニュメントです。
なった今では通院が大変です。
しかしそれも後わずか。来月1日には念願の前歯が完成!
その後はこの植物園近辺に来ることも少なくなると思います。
最後に植物園を訪れたのはいつだっただろう・・・・。
花見をしようと思ってもアルコール持込禁止だし、足は遠のいてしまいましたね。
ところでこの植物園がどのようにして誕生したのか?
今のようにエコだのなんだの言われなかった時代に、こんな大きな植物園を
残した京都府政のスンバらしい先見の明。
と、言いたいトコなんですが・・・。
実は大正天皇即位大典をきっかけに、京都はいろいろなイベントを企てたんですね。
その一つが「大典記念京都博覧会」。その予定地が当時下鴨村と呼ばれていたこの土地
なのです。広さは24万平方メートル。いくら土地の安い時代とはいえ24万平方ですよ。
そして華々しく「京都博覧会」は開催された・・かといえば予算不足でオジャン。
昔も今も公共事業の無駄使いは変わりませんなぁ。
結局三井家からの援助で植物園として活用されることになったそうです。
そんな植物園内にある「半木の森」。かつて西賀茂の森にあった神社三座のうちの一座
が洪水によって流されこの地にとどまったそうです。
それで「流木神社」と呼ばれ、上賀茂と下鴨の中間にあたるので「半木」(なからぎ)
と称された、という話です。
もし、博覧会が実施されて、その後この土地が民間に払い下げられていたら、
ひょっとしたら、この森も社も消滅していたかも知れませんね。
写真は植物園入り口、鴨川堰堤にあるモニュメントです。
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