秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

嵐山城。

2011年03月10日 10時16分15秒 | 京都非観光迷所案内

昨日は昼休みを利用してT氏の暮らしていた嵐山のマンションへでかけ
てきました。まだ警察や消防関係者が残っていましたが、、焼け焦げて異
臭の残るドアの前に献花をして合掌。

夕方の営業までまだ時間があったから、嵐山近辺をブラ歩きしてきました。
といっても観光客が訪ねるスポットには足は向きません。

渡月橋を境に賑わうのは天竜寺側で、こちらを散策する観光客はあまり
多くはありません。十三参りで有名な法輪寺はありますけどね。

本来、関西というか、京都では「七五三」ではなく、十三参りがメインだった
そうです。「七五三」は武家の祝いが元ですから、関東発信なんですね。

私は十三参りも七五三も無縁だったから、法輪寺も参詣したことは無いん
ですけど、電気や電波を守る「電電宮」は一度訪ねてみたい気もします。

法輪寺は桂川でいうと下流にあたりますが、この「櫟(いちい)谷 宗像神社
は上流にあたります。

小学生の頃、この宗像神社から「モンキーパーク」へ入園したことがあります。
あまり覚えてないけど、大きなムカデに遭遇したことだけ記憶に残ってますね。

この辺りに確か嵐山城があったと思うんですけど、この山上だったかなぁ。
城はすでに消失していますが、堀の跡のようなものは残っていたはずです。

風光明媚な嵐山に城はイメージにそぐわないけど、戦略的にはあってもおかしく
はない土地ですからね。

細川政元の家来に香西元長ってのがいたそうなんですけど、この武将はあまり
評判がよくない男(これは地元民から見て、ですけど)だったみたいです。

年貢問題で反対する村々を焼き払い、政元から叱責を受けたりしてますが、その
政元を暗殺してるんですよね。

で、結局は西岡の土豪たちに攻められ嵐山城は落城、元長は討ち死にしています。
風雅な嵐山にもそんな血なまぐさい歴史が埋もれているんですね。

フモトの船着場で美人船長さんを発見。ナカナカ見事な船さばきでした。

 

 

 

 



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