秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

徳林庵。

2011年11月23日 08時50分52秒 | 京都非観光迷所案内

 この「徳林庵」も通りすがりに撮影。以前から「蝉丸」と琵琶法師には興味が
あり、四宮近辺も散策したいとは思っていたんですよね。

四宮川。(宿川)柳田邦夫先生によると、四宮はシク、と称せられる土地だった
とあり、「四の宮」が通称化されたが、シク、シュクの文字があてられることが
あった、ということです。シク、シュクはハチと同じ境を意味する古語です。
   

宿神は必ず水辺に祀られ、荒ぶる水神の面影をもち、祟り激しい怨霊御霊を
垣間見る、とあります。

その昔、四宮川原に集まった琵琶法師たちは年に二度必ずここに集まって経
を読み琵琶を弾じていたそうです。
  
徳林庵。面している道は旧東海道です。お堂の横で販売されている陀羅尼助丸。↓


   

人康親王はいっとき目を患われ、山科に隠棲されており、つれずれに法師たち
を集めて管絃の如をつとめさせたといわれます。
   
京阪の線路を越えた十禅寺の横にある人康親王御陵。↑

四宮の名は仁明天皇の第四子であったため、この地が四宮とよばれるように
なった、という説もあります。

人康親王=蝉丸と書かれた案内書もありますが、これは間違い。(だと思います。
一説では蝉丸は醍醐天皇の第四子で盲目であったため、混同されたのでしょうか)

また、宇多天皇の皇子説、敦実親王に仕える雑色だったという話もあります。(醍醐
説は平家物語)。ま、その辺りは歴史に詳しい人たちにお任せしときましょう。

人康親王は平安期の人ですが、この庵に関わり深い人見天皇は室町期。この親王
は江戸時代に座頭の始祖とされ、ここで検校たちが琵琶演奏を行っていたそうです。

なんだか分かったような分からんような話ですが、私が興味を惹かれたのは、四宮
川原の市。さきほど記しましたが、荒ぶる水神を祀る川原で行われていたのですが、
かつて交易の場所と神は深い関わりがあるといわれていましたから、それは当たり前。

その市で行われていた「あき人(商人)の袖くらべ」にワタクシ、大変興味をしめしました。
これは袖と袖をさし合せ、袖の中で指を握り合って値を決める取引だそうです。

これを読んで思い浮かべたのが下関の「ふく」(河豚)のセリ。これは袖ではなく、袋の中
で行われる取引ですが、なんとなく似ていると思いますよね。

ま、そんなコトに興味をいだくのはワタクシくらいか・・・・・。



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