最初にお断りしておきますけど、この石碑以外、何もありません。まぁこのカテゴリー
で紹介しているのは、こんなのばかりですけどネ。
小路、というからには通りの名ですが、今はこんな名前の通りはありません。
おおよそ西大路が平安時代の「野寺小路」にあたるそうです。
洛陽とよばれた左京は繁栄しますが、右京の長安は湿地帯であったため、だんだん
寂れていった、という話は以前しましたが、この野寺小路もやがて人が去っていった
後は河川となった、と記録されています。
大路や小路、というよびかたは政治的な区画の線で、これに対して「通り」は人馬
の往来する道をさすようです。
比較的短い区間の道は「筋」、町から町へ抜ける、ごく短い道は辻子(ずし)、と
よばれ、今でも市内に残されています。
私たち庶民にとって一番馴染みがあるのは、何と言っても「路地」ですね。
これは「ろじ」、と言わず、「ろぉじ」と発音します。
子供にとっては鬼ごっこやキャッチボールをする運動場でもあり、メンコやビー玉
(びーだん、と言ってました)のギャンブル場?でもありました。
ときにはロバのパン屋がやって来たり、リヤカーを引いた手甲脚絆の花売りが
やってきたり・・・。そうそう紙芝居も来てたナ。
八月末にはその路地にシートをひいて、地蔵盆の会場になってしまう町もあります。
当然道は通行止め。工事などで通行止めになったりすると、交通整理のガードマン
に文句言ったりするオジサンも地蔵盆だと、
「あ~、今年もそんな時期が来たんかぁ、あっという間やなぁ一年も」とか言いつつ
迂回していきます。地蔵盆、といえば今では見られなくなったのが「ふいごおろし」
これは二階から紐を通して、子供たちにお菓子など入れた籠を降ろす行事ですが、
元は鞍馬で火打石(だったと思うけど)をそのような形で商っていたのが原型だそうです。
もしかしたら、どこかの町内ではまだ残されているかも知れませんな。
今じゃどんな狭い路地でも車が入り込む時勢だから、路地を駆け回る子供たちが
いなくてもしょうがないけど、まぁ、昔の「ろぉじ」はのんびりしてました。