秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

京都の「賽の河原」

2009年05月04日 09時06分00秒 | 京都非観光迷所案内
「ひとつ積んでは父のため~」と、幼子が積んだ河原の石を無情にも突き崩す鬼たち。

そんな光景がくり広げられる「賽の河原」。と、いえば青森県の恐山を思い浮かべ
ますが、イニシエの京にも「賽の河原」はありました。

場所は西大路四条の「西院」。さいの河原→さいかわら→さいいん、なんて無理な
こじつけじゃないんですけどね。

西院と呼ばれるのはかつて「淳和天皇」の離宮「淳和院」がこの地にあり、皇居の
西に位置したので「西院」の名がついたそうです。

では、どうして「賽の河原」と呼ばれるようになったのか?

それは平安時代にこの辺りは埋葬の地で、近くを流れていた「佐比川」は荒涼と
した河原でした。ために「地蔵和賛」に語られる「賽の河原」が、この地である、
と信じられていた、と「京都の地名検証」(勉誠出版)に書かれています。

その名残を残すのが、この「高山寺」です。

「佐比川」は今ではその姿の片鱗も残していませんが、今でも京都の地下には
数多くの川が流れています。

また機会があればボチボチ紹介していきたいと思ってます。(確約はできないけど)