叡山電鉄鞍馬方面に向かう路線に「市原」という駅があります。
この駅で下車する観光客はごくまれです。(鞍馬や貴船に向かう人がほとんど)
ホームの端、鞍馬方面側に大きなお地蔵さんがあり、その横に苔むした小さな
墓が建ってます。
江戸時代を中心に京都の三大豪商、といわれた後藤家の血をひく顕乗の墓といわれています。
(あとの二家は土木の角倉家、呉服の茶屋家。後藤家は金工)
後藤家は室町時代足利義政に仕えた祐乗を始祖とし、顕乗は一時加賀で暮らし、
引退後京に戻り、この地に隠棲した、と伝えられています。
宮崎友禅斎も京から加賀へ移った、という伝説がありますから、当時加賀と京は
工芸面でも密接なつながりがあったのでしょう。
まさか顕乗さんも、自分の墓のすぐそばを電車が行き来するとは夢にも思わなかったでしょうね。
この「市原駅」の近くには小野小町ゆかりの補陀洛寺(小町寺)があります。
若かりし頃、この寺を訪ねたおり、お茶で接待したうえに、お話を聞かせて
くれたご住職、今でも健在だろうか・・・・・。
この駅で下車する観光客はごくまれです。(鞍馬や貴船に向かう人がほとんど)
ホームの端、鞍馬方面側に大きなお地蔵さんがあり、その横に苔むした小さな
墓が建ってます。
江戸時代を中心に京都の三大豪商、といわれた後藤家の血をひく顕乗の墓といわれています。
(あとの二家は土木の角倉家、呉服の茶屋家。後藤家は金工)
後藤家は室町時代足利義政に仕えた祐乗を始祖とし、顕乗は一時加賀で暮らし、
引退後京に戻り、この地に隠棲した、と伝えられています。
宮崎友禅斎も京から加賀へ移った、という伝説がありますから、当時加賀と京は
工芸面でも密接なつながりがあったのでしょう。
まさか顕乗さんも、自分の墓のすぐそばを電車が行き来するとは夢にも思わなかったでしょうね。
この「市原駅」の近くには小野小町ゆかりの補陀洛寺(小町寺)があります。
若かりし頃、この寺を訪ねたおり、お茶で接待したうえに、お話を聞かせて
くれたご住職、今でも健在だろうか・・・・・。