はしだてあゆみのぼやき

シナリオや小説を書いてる橋立鮎美が、書けない時のストレスを書きなぐる場所

いち原作ファンとして映画版『この世界の片隅に』の見過ごせない改変について その7

2017年03月20日 | Weblog
7.悪い意味で“普通の日本人”

●「海の向こうの米や大豆」の暴力性?

 5.の敗戦の日の描写の解釈で、後回しにしていた点を検証していきます。
 玉音放送後のすずの台詞の改変、米や大豆を通して植民地主義の暴力を察するという展開についてです。

 まず違和感を覚えるのは、「輸入した米や大豆を通して植民地支配、植民地経営の構造的暴力に気づくことができるのか?」という疑問がわくからです。
 1945年の出来事です。被植民地の知識人層ならともかく、日本内地の若い主婦であるすずが植民地支配の構造的暴力を理解するというのは不自然に感じませんか。
「今の価値観で過去を批判するな」なんていうしょうもない難癖がありますが、“植民地支配の構造的暴力”なんて概念は典型的な現代人の価値観ではないでしょうか。少なくとも、1945年の普通の日本人である北條すずが触れる機会のなかった価値観であるのは間違いありません。
 では、すずは自力で植民地支配の構造的暴力に気づいたのでしょうか? 私も正義をめぐる考察では、このシーンに限りすずに驚異的な察しの良さを認めているので、頭ごなしに否定するわけにもいきません。

 片渕監督はトークイベント(http://konosekai.jp/report/1183/)で次のように語っています。

「できるだけ今回の映画では、現代の我々から見た理念みたいなものを、すずさんの上に重ねないようにしようと思ったので、そういう意味でも、彼女は当時の食べていたものから、自分たちの行ったことが身に沁みてしまうとうことにしたかったんです。」


 えーと……片渕監督にとっては、“植民地支配の構造的暴力”という概念が現代的な価値や理念ではなく、1945年の日本の主婦が食べ物から無理なく発想しうる概念だったと理解しているようです。にわかには信じられません。

 ……ところが、どうやら必ずしも間違いではなかったようです。
 原作漫画、映画版双方を対象とした『この世界の片隅に』のある感想会に参加した時に、当時の庶民の中にも植民地からの米が内地で流通してることについておかしいと感じていた人がいるという話を聞きました。
 「あんな安い値段で流通してるなんて、まともな手段で入手した米のはずがない」という感覚で、朝鮮や台湾といった植民地に何らかの無茶を押し付けなければ米を内地で流通している値段で輸入できないことは推測可能だったようです。さらに、朝鮮や台湾が大量の穀物輸出を行えるような豊かな農業地域ではないという当時の一般常識を押さえておけば、十分推測できたことなのでしょう。
 というわけで、「海の向こうの米や大豆」から植民地支配の暴力に気づく筋道は成り立ちうるようです。違和感を覚えた私のほうが間違っていました。

 けれど、物事はそう簡単にはいきません。上に引用したトークイベントで、片渕監督は次のようにも語っています。
 
「それまでのすずさん自身が、朝鮮の方に暴力を振るっている場面があったか?というと無いんですよ。そういうところを彼女は目撃もしていない。」


 当時の呉には港湾労働者や工場労働者として少なくない朝鮮人が働いていたようですが、彼らへの暴力(差別や抑圧を含む広い意味での暴力)をすずは見たこともないというのが、監督の解釈であり映画版の設定のようです。当然、植民地からの米や大豆も暴力=「まともでない手段で輸入した」とは思いもせずに生活してきたことになります。
 けれど、8/15の玉音放送に激昂していた時に、太極旗を見て一気に悟ったというわけです。

 なんだか、狐につままれた気分です。原作漫画の解釈が頭を離れないせいなのか、映画版のすずが何に対して怒り、どうして怒りが覚め、慟哭するに至ったかが上手く呑み込めないのです。
 少し整理してみましょう。

 1.すずの怒りの発端は、米軍の圧倒的暴力への反発、抵抗心でした。
 2.その怒りが、戦争に協力する(銃後の暮らしを守ることも戦いと認識する)ことに繋がります。
 3.日本の戦争に協力する気満々だったすずは、敗戦を受け入れた玉音放送に激昂します。
 4.怒りのままに水汲みに走ります。
 5.太極旗を見て、輸入米から植民地への暴力性に気づいて泣き崩れました。

 4.の時点での心情が鍵であるように思います。玉音放送を聞いての怒りを引きずりつつ、日本の植民地支配の暴力性に気付くことによって打ち砕かれる怒りとは何か? 
 2.(1)で検討してうまく解釈できないと否定した、反暴力の倫理観からの怒りと解釈するのが妥当でしょうか。米軍への反発から生まれた暴力への反抗心を核に激昂して徹底抗戦を叫んだものの、自分を含む日本社会が植民地へ暴力を振るってきたという現実に直面して怒りが挫かれ、後悔するに至った……。
 その後のすずの言動と矛盾するため一度は否定しましたが、この解釈しかないように思われます。後の言動との不一致は、脚本上の瑕疵ということなのでしょう。

 反暴力の怒り
 →太極旗が揚々と翻るのを見る
 →被植民地出身者は敗戦を喜んでる?
 →そう言えば、毎日食べてる米も大豆も朝鮮産や台湾産だった
 →もしかして、日本は暴力的に食料や資源を奪ってた?
 →日本も暴力を振るってきたなら、この怒りに正当性はない
 →泣き崩れるしかない。

 この迂遠な連想ゲームがすずの頭の中で一瞬で起きていたため、すんなり呑み込めなかったようです。反暴力の怒りと米や大豆の間に直接の関連性がなく、発想の飛躍が大きいことも混乱の原因でした。さらに言うなら、反省の対象が原作と映画版で違うことも、私の頭の中で不協和音を奏でていたようです。

 原作漫画では国が掲げた正義にすがって戦争に参加する意思を持ったことがすずの罪であり、後悔の対象でした。
 対して映画版では、植民地支配の暴力で得たものを(それと知らずに)享受していたことが罪であり、後悔の対象となっています。

 「尊い犠牲」という意味を剥奪されたことへの怒りや、戦争に参加する決意を罪として問われるという原作にあった要素は、全否定されないまでも薄れています。戦争への態度がどのようなものであれ、「海の向こうの米や大豆」を食べて生活していたこと自体が加害であり、責められるべきものだと映画版は描いています。


●大雑把な言葉「うちらのこれまで」

 後悔や反省の対象が原作漫画から変わっていることを象徴するのが、改変された次の台詞です。

 「飛び去っていく……うちらのこれまでが。それでいいと思っていたものが」

 原作漫画では、ここで飛び去っていくのは正義(=大日本帝国が聖戦遂行のために掲げた大儀)だったわけですが、映画版では「うちらのこれまで」という今までの生活もすべてひっくるめて否定しています。
 生活の基本である食料からして瑕疵のあるものだったのだと認識したのだから、生活すべてを否定して反省するのが正しい。映画版のほうが戦争に加担していた庶民の反省を深く描いている。
 ……なんて、評価を下している人もいるかもしれません。

 けれど、私は「うちらのこれまで」という大雑把な括りが曲者だと睨んでいます。

 その証拠に、映画版ではさらにどんでん返しが待っています。
 敗戦後の11月、着底した青葉の残骸と水原の傍らを通り過ぎながら美晴を思い出す場面で、すずは「笑顔の容れもの」として生きることを決意します。
 ここは水原や美晴に象徴される今まで生きてきた中での後悔を、どう受け止めて生きていくかが描かれる場面なのですが、映画版では晴美の笑顔に代表される良かった思い出だけに言及されていたと記憶しています。その良かった思い出の足元では植民地支配の暴力で他者を踏みつけていたことに気づいたはずなのに、そのことへの言及はありません。
 あえて嫌な言い方をするなら、笑っていた晴美も「海の向こうの米や大豆」を食べていたはずなのですが、そのことはすずの頭の中からすっぽり抜けてしまっているのです。8/15のすずの後悔や反省はどこへ消えてしまったのでしょう。
 別に晴美にまで植民地支配の暴力の責任を負わせたいわけではありません。しかし、ここで「晴美(罪のない子供)のためなら、海の向こうで誰を飢えさせても仕方がない」という言い訳を用意したら、植民地主義の暴力容認まで一直線ではないでしょうか。

   反省する点もあったかもしれないが、畑での慟哭はナイーブすぎた。
   植民地支配の暴力を後悔? そんなこと言って、美晴の笑顔まで否定するつもりか?
   反省なんて辛気臭いことは忘れて、明るい面だけ見て逞しく生きていこう。
   誰かを踏みつけなくては生きていけない。それが人生だ。仕方がない。

 こんな声が聞こえてきそうな意味の逆転、反省の無効化が起こっていないでしょうか。

 なお、原作漫画では「記憶の器」というもっと価値中立的な表現で、後悔の気持ちをも受け入れて生きていくしかないという決意が先に台詞で表現されています。その後に、晴美の記憶は笑顔とともに思い出して、大事にして生きていくという台詞に続くのです。
 そもそも原作では晴美との思い出を支えた戦中の日常を雑に否定していないので、意味の逆転が起こるべくもないのですが。否定され、反省すべきは国の掲げた正義とそれを信じてすがったことだと線引きされていました。付け加えるなら、日常生活の足元で起きていた暴力に気づかずに見過ごしてきたことや、その暴力を止めるために何をしなくてはならないかも、反省とともに考えていかなくてはならないでしょう。でも、そこまでです。晴美の笑顔に代表される戦中の生活において楽しかったことや良かったことをいくら肯定しても、8/15の慟哭や反省とは矛盾しないのです。

 雑に広く薄く反省するポーズを取っておいて、後から「良い所もあった」「全否定するのも間違いだ」と言って、手のひらを返したように過去を肯定し、反省を有耶無耶にして無かったようにふるまう……。

 一億総懺悔という言葉を思い出しませんか?
 反省の主体を“雑に広く薄く”とれば「一億総懺悔」になり、
 反省の対象を“雑に広く薄く”とれば「うちらのこれまで」になる。
 こんな風に思うのですが、いかがでしょう。どちらも反省や責任を有耶無耶にする詐術ではないでしょうか。

 そして、“雑に広く薄く”設定された反省は、晴美の笑顔の記憶というポジティブな印象で簡単に覆されてしまいます。
 少なくとも、8/15の後悔と反省の対象を「うちらのこれまで」と雑に表現してしまったがために、畑での慟哭と美晴との思い出の肯定が不協和音を奏でてしまっています。
 映画版を評価する人は、この不協和音をどう処理しているのでしょうか?

 後から出てきた晴美の「笑顔の容れもの」で、慟哭の中身がかき消されていませんか?
 8/15の慟哭を、一億総懺悔的な粗雑な反省の素振りだけで済ませてしまってませんか?


●他にも見られる慟哭の軽減化、無効化

 原作至上主義者の難癖だと思われているかもしれません。
 けれど、映画版において、すずの後悔と反省を軽減化、無効化する描写はここだけではないのです。

 8/15の慟哭を振り返ってみます。

 「うちも知らんまま死にたかったなあ……」

 原作漫画にあったこの言葉は比喩ではないでしょう。このまま命を絶っていたかもしれないほどすずは深く絶望していました。
 「うちも」という主語に注目してください。すでに死んだ人たち(はやり晴美か?)と自分を比較して、偽りの正義の正体を知らずに死ねたことを羨ましく感じているのがわかります。

 そして、原作漫画では、ここで失われた右手が現れます。泣き崩れるすずの頭を撫で、泣き止ませると消えて行きます。
 この右手はしばしば重要な場面で、すずの空想と思われる絵(や手紙)を描くという形で登場するのですが、すずに直接介入するのはこの一回きりです。なので他の出現例と比較することはできませんし、言葉による説明も一切ないので、このシーンでの意味を特定の解釈に収束させることはほぼ不可能です。
 けれど、最大公約数的に次のようには言えるかと思います。
 失われた右手はすずが死を口にするほど深く絶望していた時、しかも他に誰も助けてくれる人がいない孤独な状況で、すず自身を慰め死を思いとどまらせた。
 他の誰も助けてくれない孤独の中、死を止めるために差し伸べられた奇跡のように私には思われました。

 対して映画版ではここの描写はどうだったでしょう。

 「ああ……何も考えんボーっとしたうちのまま死にたかったなあ……」

 死を願う趣旨は同じですが、原作よりも柔らかい印象です。「うちも」という主語が変更されたために、他の死者を思い起こして比較する生々しさが消えているためでしょう。死を願う本気度や切迫感が薄い印象を受けます。
 そして、失われた右手の慰め(救いの手)は畑の慟哭には出てきません。泣き崩れたすずの姿からカメラがパンして、野菜と畑に刺さった焼夷弾を写して場面が切り替わります。
 植民地支配の暴力性に気づいたが故の絶望は、本気で死を願うほど深いものではなく、右手の助けという奇跡や神秘体験がなくても回復できる程度のものだったのでしょうか。

 失われた右手が出現するのはその後、敗戦直後の北條家の家族団らんの場面ですずの頭を撫でるのです。言うなれば、北條家の家族と支えあって生きていく気力を取り戻したすずの「もう大丈夫」という安堵感を象徴するようなタイミングで出てきます。
 失われた右手は元から抽象度が高くて解釈や演出の良し悪しを判断しづらい存在なのですが、この改変は意味を変えすぎだろうと思うのです。
 百歩譲って、すずの生命力や絶望の中でも生きようとする意志を、畑の植物の逞しさに重ねて表現したかったので右手の演出は削除したというのなら理解はできます。しかし、だったら家族団らんなんてぬるい場面に右手を流用するんじゃないと言いたくなります。

 ……書き出したことでかえって難癖くさくなってきましたね。右手の演出の変更には不満大なので、つい感情的な書き方になってしまいました。

 でも、映画版で追加されたこの敗戦直後の家族の団らんに潜む欺瞞は大きいですよ。
 とっておきの白米を炊いて家族みんなで食べるわけですが、その米にすずは後ろめたさを感じなかったのでしょうか? ついさっきまで、米や大豆に象徴される植民地支配の暴力に衝撃を受けて慟哭していたのは何だったのでしょう。後悔で泣き崩れていたのは、ただのポーズだったのでしょうか。

 内地米だから植民地とは関係ない? そのとっておきの内地米を今まで秘蔵できていたのは、植民地からまともでない方法で収奪してきた米を食べていたからでしょうが!

 銀シャリ様の前では、いかなる反省や後悔も無効である。

 ……こういうことでしょうか? 家族みんなで白米ご飯を囲んでいたら、植民地支配の暴力の反省だなんて辛気臭いことは忘れてしまうものなんでしょう。
 片渕監督もさすがに意図していなかったでしょうが、この極めて現金な態度は、ある意味戦中派の日本人の生々しい姿を写しています。

 冗談めかして書きましたが、これこそが戦前、戦後の日本人に一貫する態度のような気がしてなりません。夕餉のすずだけでなく、さっさと敗戦を受け入れた多数派の人々の行動原理もこの一言で説明できてしまいます。
 なお銀シャリには、生存に必要不可欠な食料/物資という意味と、贅沢や儲けという意味の両方が当てはまります。広辞苑によると「設け/儲け」には、「利潤」の他に「食物」や「ご馳走」という意味もあるようなので、「もうけの前では、いかなる反省や後悔も無効である」と言い換えてもいいのですが、「銀シャリ様」のほうが語感的に面白いと思いませんか。

 あー……今になって気づきましたが、この8/15の白米ごはんを囲んでの一家団らんが、枕崎台風の大笑いの代わりに挿入されていたわけですね。一応、戦争が終わったタイミングで家族みんなで笑顔になってますし、灯火管制から解放された明りの灯る夜景も戦争の抑圧が取り除かれた解放感を象徴してます。
 原作の意図を汲んだ良改変と言いたいところですが……。お上品すぎるきらいがあって私は好きになれません。原作の「迷惑な神風じゃ!」にあった神州日本の幻想を笑い飛ばすような豪快さ、自由さが失われてしまって、既存の価値観や美徳の延長線上に納まっているあたり、混沌を嫌い秩序を称える映画版らしい改変だと思います。


 原作の北條すずという架空の人物は、玉音放送の直後に徹底抗戦を叫んで激昂したかと思えば、飛び去っていく正義について思いを巡らせ、町に翻る太極旗を見て植民地主義の暴力を理解して慟哭し、本気で死を願うほど絶望したところを、失われた右手(自分の半身)に救われるという、とてもユニークで複雑な精神を持った主人公だったわけです。笑顔と共に晴美を思い出すという台詞も、負の記憶も引き受ける「記憶の器」というストイックな宣言と共に発せられました。

 それが、一億総懺悔的な雑な反省を済ませた後は、銀シャリ様を前にして後悔した内容をきれいさっぱり忘れ、「笑顔の容れもの」として良かった思い出に浸り、前向きに逞しく生きていく人物に変えられてしまいました。片渕監督が志向した当時の普通の日本人らしさはよく出ています。悪い意味で。戦後の日本人の典型と言ってもいいでしょう。
 これはただの嫌味ではなく、片渕監督がインタビュー等で語っているように、敗戦当時の日本人の日記等を参考にして敗戦時のすずの言動を解釈、再構築したのなら、当時の日本人の生々しい無責任さが映画版のすずに反映されるのも当然だったのかもしれません。

 ともあれ、8/15のすずの慟哭を原作よりも軽いものだと印象づけようとする態度は映画版において一貫しています。そして、家族の絆(団らんや笑顔)で慟哭を引き起こした負の感情(後悔や絶望)を和らげて、有耶無耶にしてしまう手法も共通しています。
 これらの改変がどれだけ意図的にしたものかはわかりません。
 けれど、あの慟哭の重さを軽減しようという意図があったのだとしたら、鮮やかとしか言いようがありません。

 素朴に、好意的に解釈するならば、「敗戦前後のすずの精神的な危機を支えたのは北條家との絆だった」というテーマを新たに立てて、そのテーマに合わせて描写や台詞を調整した結果、輸入食料から植民地支配の暴力に気づいたという改変と予期せぬ不協和音が生じたということでしょう。
 でも、それは「うちらのこれまで」なんて雑な形で否定する対象を括った瑕疵を容認する理由にはなりません。

 それよりは、もっと単純に、原作にあるすずの慟哭や後悔、反省を快く思わない層――大日本帝国の偽りの正義や植民地支配の暴力を反省したくない層――に媚びるために改変したと考えるほうがスッキリします。「媚びる」という表現が気に入らないなら、「反感を買わない」と言い直してもいいです。
 すずの心の声から「正義」を削除し、慟哭するほど後悔した「これまでのすべて」も晴美の笑顔の記憶で上書きして消してしまう。銀シャリ様を前に笑顔を浮かべる家族の団らんの図を出しておけば、直前の後悔の内容と矛盾していても異を唱える日本人なんているはずがない。
 映画版が達成しているこの成果を最初から狙っていたと考えるほうが自然ではないでしょうか。