五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログも18年目に突入。
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

母とジャガイモ

2018年06月25日 | 日々のつれづれに
ジャガイモが店頭に並ぶこの時期、母のことを思い出します。

生前の母は、仕事のかたわら近所に畑を借りて野菜などを作っていました。
トマト、シシトウ、アスパラガス、枝豆、そしてジャガイモ。

母の代わりに何度となく畑に行き水を撒いた思い出があります。

今から18年前。
5月始めに亡くなった祖母の四十九日を目前に控えていたある日、母が倒れました。

心臓が肥大していて肺が圧迫され、呼吸をするのも大変になっていました。
「すぐに入院した方がいい」という医者に「せめて四十九日が終わるまで」といって入院を渋った母。

「家でも入院患者のようにしていてください」という医者の言いつけを守り、好きな畑にも出かけないで、無事に四十九日を終えました。


一週間後、「畑のジャガイモを早く採らないと」という母にせがまれて、私は子供二人を連れて畑に出かけ、バケツに何杯かのジャガイモを採りました。
四十九日を済ませるまでは、と気になっていたと母。

「これで気が済んだ?」
畑に持ち込んだ椅子に座った母を残して私たちは家に戻り、ジャガイモの土を落として保存する作業を行いました。

母は畑に残り、小さな手カンナを使って、残ったジャガイモを探していました。
ご存知かと思いますが、ジャガイモは根(茎)の先に小さなイモを残すのです。

そして掘りながら、近所の人といろいろな思い出話をした、と後から聞きました。
すでには母は自分の死期が近いことを感じていたのかもしれません。

その夜、突然「自分が死んだら新しいお墓を立てて欲しい」と言い出しました。
一度は他家に嫁いだ母が、実の父母(私の祖父母)と同じ墓に入ることを遠慮したのでしょうか。

翌朝、一階で眠っていた母は、二階にいた私たちに連絡しようと電話機の子機を握りしめたまま亡くなっていました。
心筋梗塞でした。

享年72歳でした。

今日は母の命日。
あの日も天気が良く暑かったような記憶があります。


母の墓は、祖父母が入っている家代々の墓の近くにあります。


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