義経文書を古書展で拝見
【ヒーロー義経の書に7千万円の値段が!!】 昨日、義経さんの古文書を見てきました。(2005年1月28日ー29日、六本木ヒルズ49階「世界の古書・日本の古書日本」展)
水走文書「118 源義経外題安堵源康忠解」(源頼朝文書研究より写真提供:八木書店)
1月28日、NHKの朝のニュースで流れていたので、新しく発見された文書かと思い、わくわくして会場に行きました。会場の入口は、たった2日間の展示会ということもあってか、古書ファンで、ごった返しておりました。義経文書は、八木書店(本店神田小川町 電話03-3291-8221)のブースで、表装された形で二点展示されていました。
少し八木書店の八木壮一社長にお話を聞きました。
「これは新しく発見されたものではありません。二つとも、『水走文書(みずはやもんじょ)』として、吉川弘文館の「源頼朝文書の研究」(黒川高明編著 昭和63年7月刊)の中に掲載されているもので、当社の先代社長の代に購入ものです。この文書の経緯については、枚岡市史などにも記載されています。今回展示会に出品するにあたり、黒川先生にもう一度鑑定して頂きました。文書の内容は、所謂安堵状でありまして、源康忠という者に与えた『河内郡福名水走』地区の領有権についての裁定が記してあります。尚、この文書は、先頃、出版された五味文彦先生の岩波新書『源義経』にも紹介されています。」
吉川弘文館の「源頼朝文書の研究」の中には、9点の義経文書が、写真付きで紹介されていまして、これについては、私も見ていました。その文書には、便宜上番号が付されてあり、一つ目は、「118 源義経外題安堵源康忠解」。二つ目は、「124 源義経書状」と言われる文書です。二つともに寿永三年(1184)二月に書かれ、水走の源康忠に与えられたものです。
水走文書「124 源義経書状」(源頼朝文書研究より 写真提供:八木書店)
岩波新書「源義経」の83ページ(「V 義経の力」の章の扉)には、確かにこの文書(「118」)が、紹介されています。この文書は、早い話が、早水の土豪である源康忠が、義経に、「水走の地は、父祖伝来の開発した土地であるからこれを安堵して欲しい」という書状の上に、「主張はもっともである。御家人として励むように」と沙汰を下したものです。
ここから、少しだけ義経の政治家としての顔が見えてきます。これまで義経の政治家としての資質については、余り評価されて来ませんでしたが、今後このような文書の地道な研究から、義経の政治家としての資質の評価が変わってくることが考えられます。
感想ですが、「118」の文書の筆勢と文体、花押から類推して、義経の直筆といって差し支えないのではないかと思いました。「124」については、直感的に、少し綺麗すぎるような気がしました。字の勢いも他の文書と比べ不足しています。最後の署名が花押ではなく「源義経」と記されていますが、「義」の字が他の文書の「義」とはイメージが違うことが気になります。尚、この「124」については、編著者の黒川高明先生も「検討ノ要アリ」と記されています。ただ、「この表現については、もう少し配慮の余地があったかも」(八木社長談)と今回の再鑑定で黒川先生自身言われているとのことです。
いずれにしても、現在のところ、義経文書と言われるものは、有名な「高野山文書」と呼ばれる「阿弖川庄」の安堵状を筆頭に九通しか残っていないので、その希少性は大変なものだと思います。「源義経文書が古書展に出たのは、初めての事」と八木社長も語っておられましたが、今回展示の文書二通には、七千万円の値が付けられていました。果たして、この義経文書を欲しいと名乗り出る人は現れるのでしょうか。私の興味は、その値段ではなく、この文書に遺る義経さんの心の痕跡というか、義経らしさです。
☆購入のご相談は八木書店までお電話を!!
水走文書「118 源義経外題安堵源康忠解」(源頼朝文書研究より写真提供:八木書店)
1月28日、NHKの朝のニュースで流れていたので、新しく発見された文書かと思い、わくわくして会場に行きました。会場の入口は、たった2日間の展示会ということもあってか、古書ファンで、ごった返しておりました。義経文書は、八木書店(本店神田小川町 電話03-3291-8221)のブースで、表装された形で二点展示されていました。
少し八木書店の八木壮一社長にお話を聞きました。
「これは新しく発見されたものではありません。二つとも、『水走文書(みずはやもんじょ)』として、吉川弘文館の「源頼朝文書の研究」(黒川高明編著 昭和63年7月刊)の中に掲載されているもので、当社の先代社長の代に購入ものです。この文書の経緯については、枚岡市史などにも記載されています。今回展示会に出品するにあたり、黒川先生にもう一度鑑定して頂きました。文書の内容は、所謂安堵状でありまして、源康忠という者に与えた『河内郡福名水走』地区の領有権についての裁定が記してあります。尚、この文書は、先頃、出版された五味文彦先生の岩波新書『源義経』にも紹介されています。」
吉川弘文館の「源頼朝文書の研究」の中には、9点の義経文書が、写真付きで紹介されていまして、これについては、私も見ていました。その文書には、便宜上番号が付されてあり、一つ目は、「118 源義経外題安堵源康忠解」。二つ目は、「124 源義経書状」と言われる文書です。二つともに寿永三年(1184)二月に書かれ、水走の源康忠に与えられたものです。
水走文書「124 源義経書状」(源頼朝文書研究より 写真提供:八木書店)
源頼朝文書の研究〈史料編〉吉川弘文館このアイテムの詳細を見る |
岩波新書「源義経」の83ページ(「V 義経の力」の章の扉)には、確かにこの文書(「118」)が、紹介されています。この文書は、早い話が、早水の土豪である源康忠が、義経に、「水走の地は、父祖伝来の開発した土地であるからこれを安堵して欲しい」という書状の上に、「主張はもっともである。御家人として励むように」と沙汰を下したものです。
源義経岩波書店このアイテムの詳細を見る |
ここから、少しだけ義経の政治家としての顔が見えてきます。これまで義経の政治家としての資質については、余り評価されて来ませんでしたが、今後このような文書の地道な研究から、義経の政治家としての資質の評価が変わってくることが考えられます。
感想ですが、「118」の文書の筆勢と文体、花押から類推して、義経の直筆といって差し支えないのではないかと思いました。「124」については、直感的に、少し綺麗すぎるような気がしました。字の勢いも他の文書と比べ不足しています。最後の署名が花押ではなく「源義経」と記されていますが、「義」の字が他の文書の「義」とはイメージが違うことが気になります。尚、この「124」については、編著者の黒川高明先生も「検討ノ要アリ」と記されています。ただ、「この表現については、もう少し配慮の余地があったかも」(八木社長談)と今回の再鑑定で黒川先生自身言われているとのことです。
いずれにしても、現在のところ、義経文書と言われるものは、有名な「高野山文書」と呼ばれる「阿弖川庄」の安堵状を筆頭に九通しか残っていないので、その希少性は大変なものだと思います。「源義経文書が古書展に出たのは、初めての事」と八木社長も語っておられましたが、今回展示の文書二通には、七千万円の値が付けられていました。果たして、この義経文書を欲しいと名乗り出る人は現れるのでしょうか。私の興味は、その値段ではなく、この文書に遺る義経さんの心の痕跡というか、義経らしさです。
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