大河ドラマ「義経」 覚え書き 第三十七話

【安徳天皇替え玉説の虚妄】

大河37話を観た。そのタイトルが「平家最後の秘密」とあった。「最後の秘密」とは、何のことかと思っていたが、見終わってはっきりした。それは大河の原作、宮尾登美子版「平家物語」にある安徳天皇身代わり説のことであった。つまり守貞親王と安徳帝が入れ替わって、安徳帝は生き残ったというものである。これはいくら虚構としても、あり得ないことで、最悪の筋立である。それは頼朝という人物の性格を史実を追って考えれば分かることである。

頼朝は、平家一族の追討には、徹底的に執ようであった。それこそ、各国に作った守護地頭制度を活用して、密告を奨励し、過分な褒美を出して、平家一族とその協力者には、徹底的な弾圧を加えた。「平家物語」でも、壇ノ浦以降のストーリーは、頼朝が源平合戦の最大の功労者である義経を封じ込めるため次々と策を弄し、ついには反逆者に仕立て上げてしまう。同時に平家方の人物は根こそぎ根絶してしまうような残忍な仕打ちを次々と行うのである。そして最後には、建礼門院が38才の若さで亡くなり、生き残った平維盛の長男の六代をしつこく追求して、鎌倉で面会し、助けると言いながらひるがえって、首を刎ねてしまうのである。大河も、この平家物語の大筋を踏襲すべきある。

安徳帝と守貞親王が入れ替わるという奇っ怪な筋立てにしたために、頼朝が矢継ぎ早に放つ義経封じ込めの戦術が焦点ぼけしてしまっている。

ただ、中井貴一の頼朝の表情は、その頼朝の狭量がよく顕れていて素晴らしい。心が段々と狭くなって、ついには誰も信用ができなくなってゆく様が、実に見事に表現されている。これは台本とはまったく関係なく、良き役者特有の役作りの上で得た霊感のようなものであろうか。むかし三国蓮太郎が、背後霊を駆使して演技する旨の話をしていたことを耳にしたが、中井頼朝には、そんな凄みがある。現実の頼朝も、おそらく義経の背後に途方もなく大きな幻影のようなものを見て怖くなっていたに違いない。

さて、今回の台本で、おかしいと思ったのは、数え切れないほどあるが、まず義経と弁慶の関係である。弁慶は何かにつけて、義経のブレーンとして、言いにくいことも言わなければならぬ立場であるが、まったくふたりの間にはそうした主従の緊張感がない。まあ、壇ノ浦の合戦では、敵船に大石を投げるという力だけの弁慶という台本の設定だから、戦略も戦術もない肉体派の大馬鹿者に描かれているのであろう。実に生彩を欠いた弁慶で、つまらない人物に成り下がってしまったものだ。

また建礼門院の居に訪れた時のあの台本はいったい何か。義経が、建礼門院に愚痴のような独り言のようなセリフを吐いていた。「鞍馬に行った時、師の御坊から、全てを捨てよと言われました」とか、「兄のために働いたのに、兄に・・・」などと。どうしてあんなところで、建礼門院とはまったく関係のないセリフを義経に言わせるのか、その感覚が分からない。またセリフで敗残者の建礼門院が、「義経」と言い切っていたが、「義経殿」と言うべきであろう。

ともかく、安徳帝は生き残って、後高倉院となったという今回の大河ドラマの原作である宮尾登美子版「平家物語」に依拠した大河ドラマは、あり得ない虚構であるから、これは何度も言ってきたことであるが、最後にテロップで、「これは宮尾登美子の小説「平家物語」を原作として構成されたフィクションです。」と史実とは、はっきり相違のあることを、明確に流すべきであろう。

結論である。37話では、安徳帝の替え玉説のフィクションが邪魔になって、本来表現すべき、壇ノ浦勝利後の義経封じ込めの戦術が、脇にまわってしまった。源平合戦に参加しなかった頼朝が、真っ先に従二位に叙せられる一方、はじめから義経を封じ込めるべき、執ようなまでの手を矢継ぎ早に放って、ヒーロー義経の前途の封印に奔走する。その粘着質な政治手法をもっと強調すべきであった。それによって、二人の兄弟の志向の違いがより鮮明になると思うのである。
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