May

2014年05月11日 | monthly report
5月。
すっかり更新が遅れました。
花粉の猛威も去り、新緑の5月。みなさまいかがお過ごしですか。随分暖かくなってきましたね。
地元・北国では貴重な、陽の光をここ関東でぞんぶんに浴びて、日光のありがたさを日々、拝んでます。ふぃーるそーぐっど。

GWは地元に一週間くらい長いこと帰り、羽伸ばしてました。中学の同窓会とかあったりしてね。久々に会う面々と酌み交わす酒、酒、酒。とにかく、呑むしかないってくらいの再会の喜びと、昔話に花咲かせつつ、くだらない話に腹をかかえ、笑い、時の流れをひしひしと感じましたわ。本当、ブルーハーブばりに、「とうとうおまえが親か」ってな位の、いわゆる「時代は変わる。」ってやつです。ひとりひとりとの関係性が自分の足跡そのもの、軽いものも、重い繋がりも、全部自分の歴史。ありのままの自分で、それらひとつひとつと、再会し、回収。素材ひとつひとつが、今の自分の足取りの重みを確認させてくれる。忘れ物は至る所にあった。それらを拾い損ねてすらいた、青二才だった過去の自分に、思いを馳せる。

郷愁や憧れは、ただそうであることだけに価値がある。自分の郷愁への未練みたいなものを断ち切りたくて、そう言ったものの、やはり地元は特別だし、生まれ育った土地は、美しい。しかしその地元すら、変わっていくのが仕様がない現実というものだ。風景は変わっていくし、昔住んでいた家はもうないし、昔よくいったあの店ももうないし、つるんでいた仲間たちすらも変わっていく。なにものも変化というものは避けられない。そしてこちらの抱く憧れも、こちらが変わっていく以上、その中身は進化し、変化し続けている。憧れや郷愁は原理的にあまり叶えられることはなさそうだ。どちらも変化し続けているから。別に地元だけがそうじゃなくて、それは大体の対象においてそう言えるかもしれない。対象としての人間もそのひとつだ。私の中のあなたが、あなたの中のあなたかは、わからない。憧れっていうものは本質的にイマージナルなもの(想像的なもの)の世界の出来事で、こちらの内面にしか存在しない。逆にいえば、こちらの内面には主観的に確かに存在してもいる。でも実際の対象がその通りかはわかんない。むしろ微妙に異なって、ずれていっているのが常だ。でもその憧れは、自分の中のなにか根源的な起源を含んでいるのだろう。だから、こんなにエモい。エモいってのは、生きてる、ってことだからな。その感情には、値打ちがある。その感情は、あなたにしか持ち得ない。自分が自分であることの証左。生きてこう。うむ。

閑話休題。
そういえばアクトオブキリングっていう映画観てきたっけな。渋谷のイメージフォーラムにて。あれはいい映画だったな。みんなグロイイメージ勝手に持ってるけど、全然グロくないよ。むしろ、グロほとんどないよ。っていっとく。ほとんどロールプレイだかんな。人形相手だとか。インドネシアの政権クーデターと共産狩りの中で、100万人殺したといわれている虐殺の首謀者に、「あなたがやった虐殺を、もう一回映画として演じてみませんか?」っていうやつね。アメリカ人の監督の撮ったドキュメンタリー映画です。最初相手も「おーオッケーオッケー!俺たちのやったことを歴史に残せば、有名になれるもんね。やるやるー」つってノリノリで最初やり始めて。半分悪ふざけもいいところなんだけど、いざ録り始めたら、ガチで途中から色々思い出して具合悪くなってきちゃって、首謀者のアンワルさんって人だけ様子が違ってくるのな。それで最後…まぁ衝撃のシーンがあったわけなんですけれども。まあ見ていただくとして。評判は早くも今年度ナンバーワン級といわれているわけですが、「今後人為的に人の手で作った映画であれを越えることはもうできないだろう」と言われております。まったく同感であります。だってアレ、ノンフィクじゃん。無理だろ。あの嘔吐感、演技じゃ絶対できん。

あの映画はいろんな要素が複雑かつ多層的に入っているので、「どんな映画?」って聞かれても、うまく応えることができずにいた。もやもやしてた。なんだけど、ラジオ「タマフル」で宇多丸のムービーウォッチメンで評論を聞き、感嘆した。あの映画をあえて一言で言うなら、「悪の諸相」だ、と。おー!!!ですね。拍手でした。もやもやしてたのが一発でスッキリ。あの人、評論の天才だね。あれ見て、よく言語的にそれを切り出せたな、と。「悪」と一言でいっても、その悪にも色んなモードがあると。出てくるの全員悪人、まじで冗談になんないガチンコの悪人達なんだけど、確かにそれぞれがもつ悪の側面があって、その多様さが人間心理の実際であり、実際の現実。例えば開き直っちゃってる悪、周囲に流されふわふわしてる悪、本当は善なるものも持ってるけど今は悪、的な悪。とか。でアクトオブキリングに関しては、その最後の悪、自分の中の善と葛藤できる領域も持った悪、みたいなのがギリギリの極限状態で一瞬だけ、フィルムに収められるのですな。ギリギリですよ。その首謀者のアンワルさんって人だって。極限の精神状態。あれぜったいキツイぜ。フォローバック大丈夫?みたいな。まー見てる方もくるわな。みんなぐすん。。って涙ぐんでたぜ。俺も涙でたわ。キツくって。悪なのに、何万人も殺してるのに、少しだけ、共感…寸前のなにかが生まれるもの。人間性のかけら、というか。希望のようなもの。本当はやりたくねぇよ…みたいな。だよね。。みたいな。でもかたやその対極にいる真っ黒な、改心の余地ナシ、みたいな悪を生きてる人たちもしっかり描かれてるので、それもリアルだと思います。いい話だけじゃない。でもぜんぶ、どの悪のモードも、誰の中にだって、もしかしたら自分の中にだっておそらくあるものかもしれません。誰だって、いつでも、天使にも悪魔にも容易に転び得ます。それが人間だもの。○つおはそういってないけど。

そういう体験するために映画見にお金払ってますからね。映画ってのは、それによって得られる感情体験の対価として払ってるお金のことだと思います。僕、最後、空いた口が塞がらなかったんで。映画館でそういう体験できたことの対価、\1400。イエス。高いと取るか、安いと取るかは、あなた次第。アクトオブキリングは傑作なのでオススメです。
あの映画については追加取材があって、youtubeに上がってます。「アルジャジーラ アクトオブキリング」という題名で検索すると出てきます。アンワルさんもちょっと出てきます。ちなみに字幕ついてないですけど、アクトオブキリング自体も、youtubeに実はアップされてます。興味あるけど怖そうでみれないわ、ってひとはそっちで様子見するといいかもしれません。

映画の話が長くなりました。まぁそうそう書く場所もないので丁度よかったかもと思っております。あんまり書くことないわって最初思ってたんですけど、なんとか書けて安心しました。今月はこのくらいでいいよね?誰に言ってんだろう。来月も書けるかはやくも不安だぜ。ひと月って、けっこう、はやいんだね!

ま、暇つぶしにはいいかもと思って続けます。
今回も読んでくださった同じく暇を持てあましてる方と、物好きな方達に感謝申し上げます。
次は6月だー、わっほい!では、じゃーあねー。

よしあき

April

2014年04月03日 | monthly report
うっす。近頃まったくもってgooの方を更新できてませんでした。更新なくとも微妙に割と見に来てくださってる方がいるので、「なんか書かなきゃなー…」と思いつつもどうもね、筆不精なもんで。加えて別な部分でネットへのモチベーションというものが最近ガタ落ちでして。ネットで発信することにはあまり最近興味をもてない自分がいますね。それもなんかひっかかりつつ。まあいうても気分屋ですから、また溜まればここで吐き出す作業はやると思いますが。。
 それで、あまりに書かなすぎなので、とりあえず月の始めに1回、ツキイチで更新ならなんとかできんじゃねぇか?と思いまして。新年度だしね。書いてるけど書いてないような、ツキイチペースなら、なんとか筆不精な自分でも定期更新できるやもしれません。ということで、いざ実験です。あのー、ほら、いうなればザ・ブルーハーブみたいなかんじで。(笑)あの人たちも毎月マンスリーレポート更新してるじゃないですか?ああいう感じでやってみるか、ってなかんじで。そん代わり、文量はえげつなく増えると思います。新しいスタイル。新年度だしね。


1日で誕生日迎えました。めでたく人生27周しました。いや、人生は周ってないね。。(笑)1年、ね。いよいよおっさんの領域でありますが、オサーンはオサーンらしく、年季を入れてですね、ひとつ落ち着いてやっていこうじゃないかと。思えばこの地、今の家に越してきてちょうど1年でもあることに気付いて。ここまでの1年はとにかくなんといいますか、とにかく楽しかったんですね。充実しすぎてた。ツイッターとか更新する暇ないくらいリア充してた。楽しすぎて、なんか逆に退化した感すらある。やっぱね、「ツイッターに居ないってことは、リアルが充実してるか、死んでるかのどっちか」っていう自らの発言を地で体現した感じがありますね。書いてる暇ねぇんだって。ほんとのその人にとって重要な出来事っていうのは、つぶやきにはならねぇことなんだって。つぶやかれてさえいないところで、大事なことってのは起きてるってことだわね。だってバカみてぇじゃん。なんかある度にスマホとりだしてさ、「~なう」って、おめー、それ超余裕じゃん!みたいなね。つまりネットにつぶやいてるくらい余裕のあることはさほど重要なことではない。セックスしてるときにつぶやけんのかよ、それ、って話ですよ。究極いえば。まあもっといえば、自分がいまここで書いてるようなことも、さほど大した話ではないので、賢明なブロガーの皆様ははやくこのページを閉じて、自分の人生におかえりなさい。お・ゆ・き・な・さ・い!(釈由美子)

それでも私の駄文を読むくらいヒマな方、もしくは物好きな方だけ、こちらにお残りください。
次。

まあ院はいま春季休暇ですのでね。もうほんとありえんわけです。春季休暇 aka 春休みってやつですから、奥さん。幸せな身分でございます。空いた時間はもう映画ばかり観てたね。幸せだね。もうなかなか本とか読む気にならなくなってきたもんね。今は正直理論とか、知識とかよりもね、いやそれはそれでずっと摂り込んでるけどね、ナラティブの方が面白いかな。物語ですよ、物語。いろんな人のナラティブを聞いて、あれこれ考えてる方がずっと実践的だと思ってね。。面白いんすわ。いまはそれが。小説でも落語でもなんでもいいんだけど。要は「代理体験」させてくれるものの価値、というのかね。それの面白さにやっと気付き、ハマってしまい、喉の渇きを癒すように、そういうの求めてました。なんというんでしょう、自分のいま生きてる人生もまぁ、一つのナラティブじゃあないですか。そういう自分のナラティブを完璧ではないにしても、ある程度相対化して語れるようになったときに、そうすると、他の人のナラティブが気になりだすんですね。自分では生きれなかったナラティブ、ライフストーリーがあるので、他の人はなにを、どうやって体験したんだろう?と。自分の人生の体験から得られたもの、得られた結果、ある種の「答え」。解のようなものがあって、そこからは一旦離れて、他のストーリーを覗いてみたくなるのですな。他の答えも欲しくなる。人間の無意識はある種、「台本化」されてるわけですから。そこには「問い/答え」がセットであって、常に最後の解を出そうともがいてるわけで。人間の可能性って無限だと思うのは、この世に無限のごとくナラティブが存在することからもわかるわけです。ナラティブは、もちろん言葉で語られるわけですから、ナラティブの数だけ、人間の辿る道の可能性が誰にでも潜在的にあって、それは同じ言語という共通の基盤で共有、体験可能なわけですな。それを了解できるのはなぜか。われわれあたり前のように物語読んで感情移入するけど、なんでそんなことできんの?っていう。それはたぶん、人間みなパーソナリティでも、言語でもなんでもいいけど、レヴィストロースでいえば異なる「構造の差異」を持ち寄って生きてますけど、はじまりの「ゼロ」の地点はたぶん同じとこからスタートしたんじゃね?っていう。ゼロを根底に共有してるから、(つまりチョムスキーの普遍文法仮説を共有しているみたいに。)そういうことできるんじゃね?ってのが今んとこの学問から推測できうる範囲なわけだけど。んん。話がずれまくった。まあ最終的には臨床での人間の共感可能性みたいな部分と、あと直感能力みたいな部分もそういう部分に依ってんじゃないかって思うのさ。だから、わたしは、今日もナラティブを喰う。(?)飯の代わりみたいなもん。


あと臨床ついでにいえば、最近「心身症」領域に興味がある。というより、これは個人的な要請でもあるわけですが。身体には割と出る方なので。思考と感情の軋轢をある程度解消できたかと思ったら、最近そのしわ寄せが「身体」のほうに来てやんの。笑えるべ?やはり心身症ってのもひとつの言語かもしんねぇな、と。「身体言語」ってやつね。しかもよりプリミティブな言語だよ。そこらへんになるとメルツァーの「閉所」の議論とかとても面白くて。バラバラに分割された身体の部分に侵入同一化するあまり心的に閉じ込められちゃってる、っていう。なかなかぶっとんだアレだなぁと思いましたけど。それ知れたのも今年の収穫だったかな。確か「症状というのはさまざまな器官を通して語られた、身体言語である」って言ってますからね、あの人は。とにかく身体メッセージの解読、っていう作業はいろんな意味で喫緊の課題なのであります。スポーツ選手なんかに聞くといいかもしれませんね。プロの、身体を動かすことの天才に。室伏さんなんか、背骨の骨、一個ずつ、意識して動かせるらしいですからね。(笑)ハンマー投げの人の。現代の心理学者は身体のことには、無知なんです。ともかく、身体はこの先面白い領域だと思ってます。そういうことです。

あとむちゃくちゃ最近の話題としては、アレ、観てきました。「第五回高校生ラップ選手権」。でたー。前から「次こそは観に行こう」って決めてたんですけど。めちゃめちゃ面白かったですね。お目当てのパブロ君は負けてしまいました。。二回戦で。あれは、パブロは圧倒的に勝ってたように見えたんですが、審査で割れちゃって「パブロはカッコいいのっていうのはもう分かっているので。。続きはCDで、ってかんじですね」っていう言葉で最後の一が入っちゃって決まってしまったんですな。あれは…正直わからなくもないけど、もっと平等に審査すべきだったとも思う。そうすると決勝で双子の兄弟対決だったわけだけど。。パブロが負けた後は正直会場の雰囲気がお葬式みたいにシーン!ってなってしまって、自分はすこし残念な気持ちが残った。その後のEINSTEIN君もラップがすこし心ここにあらずなようにみえた。
ジブさんがパブロをプロデュースすることも決まって審査員を退き、代わりにアナーキーが審査員だったりと驚きの展開の第五回ではありましたな。まちがいなくいま日本の一番熱いHiphopシーンの最前線のひとつであると思いました。ジブさん×パブロの件は、シーンがいま動いてることを感じた。次のラップスターはおそらく彼でしょう。彼のコンピも気付いたら買ってました。無意識。HiphopのCDまともに買ったのなんて何年振りだろう。。
あと地元の新潟でも駅前でサイファーやってるみたいだしね。なかなかに広がっている高校生ラッパー。しかも、みんなべらぼうに上手い。一昔前の水準が嘘みたいに上手い。それに、熱い。ちょっとしたさんぴん時代にも似た空気を感じた。あと、前座でKrevaと鎮座ドープネスが観れた。それだけで\4000はいっていい値段。(ちなみにチケ\4000ね。)I REPも3人揃ったバージョンで聴けたので相当上がりました。


とまあ。今回はこれくらいでよいかと。
いろいろあった一月でした。また来月も更新できるように心に留めときます。
いろいろな新スタートの月ですが、がっつりあがっていきましょう。
では。