日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
2月8日・釈迦も幸福を求める
2月8日
幸福を求める釈迦
「誰か、親切の功徳を積んで幸福になりたい人はおられぬか? その人は私の針に糸を通して欲しい」盲目の比丘(びく)がそう呼びかけた。
彼の名は阿那律(あなりつ=アニルッダ)。出家した当時の彼は、盲目ではなかったが、ちょっとした事件があって彼は失明してしまった。しかし、阿那律は悟りを開いて阿羅漢(あらかん=聖者)となり、失った肉眼の代わりに天眼を得た。したがって彼は、失明したことをちっとも悔いてはいなかった。
だが仏教教団の決まりとしては、自分の衣は自分で縫わねばならない。盲目の阿那律も自分で衣のほころびを綴(つづくり)せねばならない。けれども阿那律は、生来の盲人ではないのでいささか不器用である。
針に糸を通すことが彼にはできなかった。それで彼は針に糸を通すのだけは人に手伝ってもらった。そんなとき彼は「誰か、親切の功徳を積んで幸福になりたい人は・・・・」と呼びかける。古代のインドにおいてそんな慣用句の表現が有ったらしい。
『では私がその功徳を積ませていただこう・・・』
そう言って阿那律の手から針と糸を取られたのはお釈迦様であった。
「いいえ私は世尊に申し上げたのではございません」
阿那律はあわてて針と糸を取り返そうとした。
『なぜだね、阿那律よ、私もまた幸福になりたいと思っているんだよ・・・』
「しかし、世尊はすでに“仏陀”であられます。この迷いの世界を離れられた人です。どうして世尊が、福徳、幸福を求められる必要がありましょうか・・・」
だがお釈迦様はこう言われた。
『そうではない、阿那律よ。仏陀であっても直も求めるものがある。布施をするのに、これで十分という限界はない。弟子の指導にも、ここまでで十分ということはない。堪え忍びにも、信者への説法も、衆生への慈悲にも限界はない。仏道にも限界はない。阿那律よ,仏陀はいつでも幸福を求め続けているのだよ。常に前進を続けるのが仏教者の姿なんだよ』
*
2月8日は針供養。この日、縫い針を休ませ、古針や折れた針を供養する行事が行われる。
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