日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
私の3・11:最終回・園児を持ち上げバスの屋根へ
私の3・11
十一・園児を持ち上げバスの屋根へ
宮城県山元町
私立ふじ幼稚園・園長、鈴木信子(52歳)
宮城県山元町の私立ふじ幼稚園で園児51人を乗せ園庭に止まっていた幼稚園バス2台が津波に襲われた。43人が助け出されたが、園児8人と職員1人が死亡した。
鳴らない防災無線。津波への警戒心の薄さ、濁流が流れ込んだバスの社内では、懸命の脱出劇が繰り広げられた。
警戒足りず9人犠牲
園によると、3月11日午後3時頃、職員らが園児51人を園庭に避難させた。木造2階の園舎は余震で危険と判断した。同3時頃雨が降り出し、園児を大型、小型バスの2台に乗せた。
津波はそこに突然押し寄せた。園児33人が乗った大型バスは津波に流され正門の塀にぶつかって止まった。園児18人が乗る小型バスは100メートルほど離れた民家まで流された。大型バスには職員5人がいた。
濁流は天井近くまでに達し、園児はぷかぷかと浮き沈みし、パニック状態に陥った。職員によると濁流との格闘は壮絶を極めた。ドアを開け、職員一人が屋根に上がった。他の職員が社内から園児を持ち上げ23人を屋根に脱出させた。園児一人が流され職員が泳いで抱きかかえて救出、上り棒に捕まり、水が引くのを待った。
別の職員は「車内に取り残された子がいないか確認した。もういないよね。いないでね・・・祈るような気持ちで水中を探ったら2人のリュックに手が掛かった」と言う。2人を引っ張り出し、ガレキにしがみついた。
屋根に上った職員は「子供達を助けなきゃと必死に引き上げた」と涙で振り返る。しかし救出も及ばず、7人が行方不明になった。
職員2人が乗った小型バス。水を飲み衰弱した1人と救出で力尽きた職員、中曾順子さん(49歳)が死亡した。
★★★
大型バスの園児は園舎2階で、小型バスの園児は民家2階で、それぞれ夜を明かす。
「娘が戻らない」11日夜8時過ぎ、団体職員橋元洋平さん(33)は長女結衣ちゃん(5)を捜し、園を目指した。周囲は真っ暗。携帯電話の明かりだけが頼り。ガレキを越え、腰まで水に漬かって午後9時頃園舎にたどり着いた。
「結衣はいますか」橋元さんは尋ねた
「いません」。職員がクビを振る。橋元さんはもう一台の小型バスのことを聞き、望みをつないだ。
民家にたどり着き、再び尋ねた。
「結衣はいますか」
「すみません、いません」・・・返答に橋元さんは泣き崩れた。震えが止まらなかった。
民家2階には亡くなった園児一人と重体の園児2人を寝かせた部屋があった。
橋元さんは凍てついた部屋で二人を温めて看病した。
「この子が結衣だったら・・・」他人の娘を、わが娘のようにいとおしく感じた。結衣ちゃんは数日後、遺体で見つかった。
☆★☆
5月14日園児8人の遺族への2回目の報告会が町内で開かれた。
「何故うちの娘を助けてくれなかったのか」。
一人娘ひな乃ちゃん(5)を亡くした高橋光晴さん(43)は4月の報告会で、園側に怒りをぶつけた。今は違う思いも抱く。
「先生方だって必死だった筈、情報を収集して津波から避難できていれば、誰もが悲しい思いをせずに済んだ。それを教訓にしてほしい」。
園によると、近くの町の防災無線は警報が鳴らず、避難を呼びかける広報車も来なかったという。職員の一人がラジオで大津波情報を知ったが全員に伝わらなかった。
海岸から幼稚園までは約1・5キロ。園は火災や地震の訓練は年に3,4回行なっていたが、津波の避難訓練は一度もした事がなかったという。
鈴木信子園長(52)は涙を流し、悔やむ。「津波への警戒心が足りなかった。それが最大のあやまち、あの子達のことを一生背負って生きていく・・・」
十一・園児を持ち上げバスの屋根へ
宮城県山元町
私立ふじ幼稚園・園長、鈴木信子(52歳)
宮城県山元町の私立ふじ幼稚園で園児51人を乗せ園庭に止まっていた幼稚園バス2台が津波に襲われた。43人が助け出されたが、園児8人と職員1人が死亡した。
鳴らない防災無線。津波への警戒心の薄さ、濁流が流れ込んだバスの社内では、懸命の脱出劇が繰り広げられた。
警戒足りず9人犠牲
園によると、3月11日午後3時頃、職員らが園児51人を園庭に避難させた。木造2階の園舎は余震で危険と判断した。同3時頃雨が降り出し、園児を大型、小型バスの2台に乗せた。
津波はそこに突然押し寄せた。園児33人が乗った大型バスは津波に流され正門の塀にぶつかって止まった。園児18人が乗る小型バスは100メートルほど離れた民家まで流された。大型バスには職員5人がいた。
濁流は天井近くまでに達し、園児はぷかぷかと浮き沈みし、パニック状態に陥った。職員によると濁流との格闘は壮絶を極めた。ドアを開け、職員一人が屋根に上がった。他の職員が社内から園児を持ち上げ23人を屋根に脱出させた。園児一人が流され職員が泳いで抱きかかえて救出、上り棒に捕まり、水が引くのを待った。
別の職員は「車内に取り残された子がいないか確認した。もういないよね。いないでね・・・祈るような気持ちで水中を探ったら2人のリュックに手が掛かった」と言う。2人を引っ張り出し、ガレキにしがみついた。
屋根に上った職員は「子供達を助けなきゃと必死に引き上げた」と涙で振り返る。しかし救出も及ばず、7人が行方不明になった。
職員2人が乗った小型バス。水を飲み衰弱した1人と救出で力尽きた職員、中曾順子さん(49歳)が死亡した。
★★★
大型バスの園児は園舎2階で、小型バスの園児は民家2階で、それぞれ夜を明かす。
「娘が戻らない」11日夜8時過ぎ、団体職員橋元洋平さん(33)は長女結衣ちゃん(5)を捜し、園を目指した。周囲は真っ暗。携帯電話の明かりだけが頼り。ガレキを越え、腰まで水に漬かって午後9時頃園舎にたどり着いた。
「結衣はいますか」橋元さんは尋ねた
「いません」。職員がクビを振る。橋元さんはもう一台の小型バスのことを聞き、望みをつないだ。
民家にたどり着き、再び尋ねた。
「結衣はいますか」
「すみません、いません」・・・返答に橋元さんは泣き崩れた。震えが止まらなかった。
民家2階には亡くなった園児一人と重体の園児2人を寝かせた部屋があった。
橋元さんは凍てついた部屋で二人を温めて看病した。
「この子が結衣だったら・・・」他人の娘を、わが娘のようにいとおしく感じた。結衣ちゃんは数日後、遺体で見つかった。
☆★☆
5月14日園児8人の遺族への2回目の報告会が町内で開かれた。
「何故うちの娘を助けてくれなかったのか」。
一人娘ひな乃ちゃん(5)を亡くした高橋光晴さん(43)は4月の報告会で、園側に怒りをぶつけた。今は違う思いも抱く。
「先生方だって必死だった筈、情報を収集して津波から避難できていれば、誰もが悲しい思いをせずに済んだ。それを教訓にしてほしい」。
園によると、近くの町の防災無線は警報が鳴らず、避難を呼びかける広報車も来なかったという。職員の一人がラジオで大津波情報を知ったが全員に伝わらなかった。
海岸から幼稚園までは約1・5キロ。園は火災や地震の訓練は年に3,4回行なっていたが、津波の避難訓練は一度もした事がなかったという。
鈴木信子園長(52)は涙を流し、悔やむ。「津波への警戒心が足りなかった。それが最大のあやまち、あの子達のことを一生背負って生きていく・・・」
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