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「どうにも止まらない」今に続く黒沢明監督の警鐘

“どうにも止まらない”

今に続く黒澤 明監督の警鐘

 msehi

1955年、黒澤 明監督が『生きものの記録』を世に出した時、黒澤は「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本としてどこの国よりも早く、率先してこういう映画を作るということは当然誰かがやるべきだ」と述べている。

 この前年ビキニ環礁で水爆実験が強行され、“死の灰”をかぶった第五福竜丸の船員が亡くなる事件が起こり、米国による南方からの放射能、さらにはソ連による北方からの放射能が日本各地に降り注ぎ、ラジオでセンセーショナルに報道されたが、小学校4年生だった私もよく覚えている。

 又、同年中曽根康弘などが提出した“原子力研究開発予算”が国会で承認され、日本の原子力発電の歩みが、開始された。

 『生きる』や『悪い奴ほどよく眠る』で述べたように黒澤 明の“時代への先見性”には優れたものがあり、

 “平和利用”という原子力時代の幕開けを誰よりも恐ろしく感じていたことは明らかだ。

 すでに「羅生門」「生きる」「七人の侍」を世に出した黒澤は、日本映画監督の第一人者に上りつめていただけでなく、世界の黒澤になっていたにもかかわらず、

 時代の流れに抗した作品を制作した背景には、戦時下で反戦映画『一番美しく』を制作したように日本が深刻な状況に陥っていくことを黙って見ていられなかったのだろう。

『生きものの記録』を今再び見るとき主人公の中島喜一(三船敏郎)を通して黒澤 明の「時代への苦悩」と「積極的な抗議」への姿勢を感じずにはいられない。

 ★

 映画は一代で鋳物工場を興し、成功した中島喜一(三船敏郎)が原子爆弾などによる放射能を極端に恐れるようになり、

安全なブラジルへの一族移民を独断で計画したことにより、一族から禁治産者の申し立てがなされるところから始まる。

結局一族のほとんどは将来の安全を、喜一が築いてきた現在の富である「工場やお金」に求めた。

 それはまさに被爆国日本が原子力を容認することを暗喩している

 もっとも、喜一の理解者が全くいないわけではなく、妻のとよ(三好栄子)を除き、末娘すえ(青山京子)と彼の赤ん坊を育てる妾の朝子(根岸明美)の存在であり、将来世代の母なのである。二へ続く

 

 

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