goo

渋沢栄一 一日一訓

渋沢栄一

一日一訓

渋沢栄一は埼玉県今の深谷市付近の農家の出身。

1840年天保11年2月13日生まれ、幼名を栄二郎といった。

以後栄一郎、一橋家に仕えてから篤太夫⇒篤太郎

有金などを経て11回目に栄一と改名した。

この渋沢栄一こそ100点満点の完全大吉名である。雅号を青淵といった。

銀行・企業・教育(一橋・国士舘・同志社・早稲田・二松学舎)など枚挙にいとまのない数々の功績は、正二位・勲一等に叙せられ、

1931年(昭和6年)11月11日享年92歳で逝去した。

泰徳院殿仁智義譲青淵大居士

2024年・渋沢栄一の肖像が1万円札で登場する。

人生・仕事・経営を創る366の教え。

 

1月「義理合一」の信念をもって

1日 各個人は、国家や社会の一つの分子であるから、一挙手一投足がみな国家や社会に影響し、各個人だけで完結するものではない。その失敗は国家や社会にまで影響し、死んだとしてもその責任を免れることはできないのだから、人は自分だけのことと思って勝手なふるまいをしてはならない。

 

2月 真の私利は公益である

2月1日 商業の信の意義は[自利利他]と言える個人の利益は国家の富であり、私利は公益である。公益となりえるほどの私利でなければ、真の私利とは言えない。

 

1月2日 国家を健全に発展させるために、国民たるものは、商工業においても、学術や芸術においても。外国と争って必ず勝つという剛毅なる心意気が無ければならない。

 

2月2日 いかなる人を「士」というべきか。事業家もまた「士」である。この「士」である者が経営する商工業の最終目的は、国家を富ませかつ強くすることである。

*「士」とは孔子が生きた春秋時代において、一般の官僚を意味していた。転じて、官僚にふさわしい振る舞いができ、教養のある人を、「士」と呼ぶようになった。

1月3日 商工業者は文明の開拓者である。先導者である。

2月3日 経済活動は、すべての富を得ることを目的とするものであるが、我も冨み、人も冨み、そして国家の進歩発達を助けるような富であって、初めて正しい富と言えるものである。

 

 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )