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安倍晋三の逃亡・その三

安倍晋三の逃亡

その三・広がる心の空洞、駆け巡る「情報」

権力闘争に於いて、人事こそが最大の武器である。遠藤と小林の更迭を事後報告された段になって、安倍は初めて騙されていたことに気付いたのであった。

 ようやく政治的に力をもがれたことに気付いた安倍は、急速に気力を失っていく。政治は権力闘争であり、権力奪取のためには手段を択ばないことは当然のことであった。

 だが、このころの安倍は、こうした現実を直視できる状態にない。参議院選の敗戦を隠すため、頼りになる麻生に全部任せ切っていたのである。人事権の一部を手放すという愚挙すら気にならない。

 つまり安倍は冷静な政治判断をする精神状態ではなくなり始めていたのだ。こうして広がった安倍の心の空洞に、さらなるダメージとなる情報が飛び込んでくる。

「週刊文春」が安倍の『隠し子』問題を追っている、という情報が官邸周辺を駆け巡った。

 情報は錯綜する。政治記者、雑誌メディアを巻き込んで安倍周辺が騒がしくなる。「そんなものはしらばっくれればいいんだよ」安倍が信頼する新聞記者の一人、産経新聞の石森文登はこう言って落ち着かせようとする。だがその甲斐なく、

週刊ポストが、「政界激震、『安倍首相隠し子騒動』で流された美人ママの個人情報」というタイトルで、安倍の隠し子問題を報じた。

 記事の骨子は、20年来の付き合いという福岡市・中洲のクラブのママとの関係を疑う情報が政界関係者の間で飛び交っている、というものであった。

 東京スポーツ紙上で安倍の「隠し子」騒動を追及してきた政治ジャーナリストの藤本順一が語る。

「確かに隠し子情報はある。この中洲の女性も不倫関係にあったのかもしれないが、このスキャンダル情報は、そもそも安倍さんが最も信頼する官邸スタッフと産経新聞の幹部が、銀座の飲み屋でホステス相手に自慢げに吹聴していたことが広まったものだ。

 これに本人がショックを受け、人間不信の原因の一つになったのではないか」この報道によって首相夫人は動揺した。

当然ながら、夫婦間には冷たい空気が流れる。この報道によって、もともと冷え切った夫婦間に冷たい風が吹いたのだ。

 「外遊などに向かう前など、安倍夫妻はよく手をつないで飛行機のタラップを上り下りしています。

 あれは演技です。普段の生活で手をつなぐことなどめったにありません。官房長官時代は一切口を利(き)かない時期もありました」(安倍家関係者)。  続く

 

 

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安倍晋三の逃亡・その二

 

安倍晋三逃亡・その二

2007年内閣放り出しの本当の理由

 参議院選投票日、

首相官邸で麻生太郎と二人だけで向き合った安倍は勇気づけられていた。

『総理、お好きなようにやったらいいじゃないですか、辞める必要なんてありませんよ』なんという余裕。小言は一切ない。これこそが安倍の待ち望んでいた《側近》であった。

 念願の盟友を党のトップに据えて、2007年8月27日、内閣改造によって安倍政権は再スタートを切った。

 だが幸福は長くは続かない。すぐに綻びがめだち始める。改造8日目の9月三日、遠藤武彦農林水産大臣が、またもや『政治とカネ』の問題で辞任する。繰り返される閣僚不祥事。安倍政権にとっては通算5人目の閣僚交代となる。

 翌日さらなる不幸が襲う。参院選に当選したばかりの小林 温は秘書が公職選挙法違反容疑で逮捕された責任を取って、議員辞職したのだ。

 官邸崩壊はいきなり最終章に突入する。

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『麻生に騙された』ちょうどこのころ、週刊朝日の取材で官邸周辺をさまよっていた私(上杉 隆)は安倍がつぶやいたとされるこの言葉の意味を探し求めていた。

 1年間の「片思い」の末、信頼を寄せていた人物に対して、吐いたこの言葉、安倍は一体何を騙されたというのだろうか。安倍晋三は驚くべき純粋さを持って権力闘争の舞台に立っていた。

 内閣総理大臣という職務についてもなお、彼は友人を大切にする好人物であり続けた。

おそらく、歴代の官邸の主で彼以上に純真な首相はいないだろう。

その安倍が、麻生と官房長官の与謝野馨の独走に気付いたのは、自らが所持していると信じていた人事権が、手元にないことに気付いた時のことであった。

 遠藤も小林も自分が知らないところで、処分が決まっていたのだ。『いちいち総理に報告することでもない』人事権の行使を記者団に問われたとき、与謝野はこう語っている。万事、事後報告である。だが、問題はないだろう、確かに安倍も当初はそう考えていた。だが時すでに遅し。

 麻生らは、すでに自らのために『麻生準備内閣』を組み始めていたのである。 続く

 

 

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