日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
十五・山城新伍 妻と娘に見捨てられたプレイボーイの最期
芸能界一のプレイボーイ
十五・山城新吾
(1938・11・10~2009・8・12)
妻と娘に見捨てられた孤独なプレイボーイの最期
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80年代、山城新伍は絶頂にいた。
俳優からバラエティタレントへと転身した山城は
『アイ・アイゲーム』をはじめとするバラエティ番組の司会者として人気を博し、当時発表されていた“長者番付”にも名前が載るほど稼いでいた。
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山城新伍(3・10・13・6)
地格19凶。外格9凶。
基礎運・(人)3-地(9)凶。
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女関係も派手だった。自ら『プレイボーイ』と名乗るほど、女好きだった山城は、、タレントから水商売女、さらに一般人まで次々と手を出しては愛人にした。
結婚記念日や娘の誕生日も家族と過ごさず愛人と過ごし、愛人に貢ぐために、娘の学費保険の積立金に手を出したり、娘の同級生と知りながら肉体関係を結んだりもした。
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そんな山城のだらしない女関係に家族は愛想を尽かし、妻で元女優の花園ひろみとは離婚(一度復縁も再び離婚)、娘には二度と会いたくない、と絶縁宣言され、籍を抜かれた。
2001年以降一人暮らしをしていた山城は、05年に糖尿病で入院、メディアに出ることもなくなり、事実上の引退となった。
08年には『老人ホーム』に入居。糖尿病の悪化で車椅子での生活となり、老人性のボケ症状まで発症していたという。かつて白馬童子で一世を風靡し数々のバラエティ番組で活躍、「プレイボーイ」の名を欲しいままにした山城新伍の姿は、もうそこにはなかった。
山城が老人ホームに入居していることは、元妻の花園も娘も知っていたが、一切連絡はなかったという。
山城は家族に完全に見捨てられ、元妻と娘が山城を許すことは決してなかった。晩年の山城は孤独だった。09年8月12日入居先の東京都町田市にある特別養護老人ホームで山城は家族に看取られることもなく、一人さびしく死んでいった。
葬儀にも元妻と娘の姿はなかった。「娘には会いたい」という願いも叶わず、芸能界一のプレィボーイは哀しく逝った。
(因果応報の典型を見るようである←永人)