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吉田調書の真実⑥・極限の中で

吉田調書の真実⑥

極限の場面で

 

外部への脱出の機会が失われていく中、吉田所長の指示の下、現場の不眠不休の戦いが継続された.プラントエンジニアたちは汚染された原子炉建屋に突入を繰り返し、またほかの職員たちは原子炉への海水注入に挑んだ。

そして2号機の状態が悪化し、3月15日朝、最悪の事態を迎えることになるのである。

3月15日午前6時過ぎ、ついに大きな衝撃音とともに2号機の圧力抑制室(通称・サプチャン)の圧力がゼロになった。「サプチャンに穴が空いたのか」

多くのエンジニアはそう思ったという。恐れていた事態が現実になったと思ったとき、吉田所長は「各班は、最少人数を残して退避!」と叫んでいる。

 たとえ外の大気が「汚染」されていたとしても、ついに免震重要棟からも脱出させないといけない「時」が来たのである。

 この時のことを朝日新聞は、一面トップで

「所長命令に違反、原発撤退」

「福島第一所員の9割と報じ、二面にも「葬られた命令違反」という特大の活字が躍った。要するに700名近い職員の9割が、「吉田所長の命令に違反して現場から福島第二(2F)へ逃げた」というのだ。

 その根拠になる吉田調書の部分は朝日によると、以下のようなものだ。(「本当は私、『2Fに行け!』と言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、『行くとしたら2Fか』、という話をやっていて、『退避をして車を用意して』、という話をしたら、伝言した人間は、『福島第二に行け』、という指示をしたんです。

私は『福島第一の近辺で所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避をして次の指示を待て』、と言ったつもりなんですが、『2Fに行ってしまいました』というんで、しょうがないな、と。2Fに着いた後、連絡をして、まず『GMクラスはこっちへ帰って来てくれ』という話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。

 今2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。

免震重要棟はその近くですから、『ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれ』と言うつもりで言ったんですが

確かに考えてみればみんな全面マスクをしているわけです。⑦へ

 

 

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