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フセインの兵器はブッシュの仲間が売っていた。

フセインの兵器はブッシュの仲間が売っていた

( サダムフセインと米国(子ブッシュ)の戦争)

 対立の真実を読み解こうとすれば、サダム・フセインを背後から支え続けたサダムのボス、ベルギーの相場師で投機家マーク・リッチの真意を知らなくてはならない。

 1934年、ベルギーのアントワープで生まれたリッチは、貴金属への投機によって40歳足らずの若さで莫大な財産を築く。その財産を手に、リッチは70年代初頭、ソ連(ロシア)に乗り込む。

 リッチはウクライナ、カザフスタンで大々的に麻薬の生産を開始し、1974=昭和49年には麻薬販売企業マーク・リッチ株式会社をソ連国内に創立する。

 この企業は創立当初から、ソ連全域に麻薬販売ネットワークを持つ巨大企業だった。リッチは麻薬をソ連国内だけでなく、米国へも輸出した。

 米国内でリッチの麻薬販売を請け負ったのはマフイア組織パープルギャングと呼ばれる組織のボス、マックス・フイシャーであった。

 リッチはフイシャーに対し、「敵国」である「ソ連から米国へ自由に出入りし、ソ連、ロシア製の麻薬、武器を販売できるルートを開拓するよう強く要請」し続けた。

 リッチの強い要請を受けたフイシャーは、自分の代理人として、米国議会で活動するリチャード・パールを動かす(註――後述する)。

 パールは後に子ブッシュの国防政策会議議長としてイラク戦争を開始する人物であり、当時は核兵器メーカーのウエスチングハウス社の代理人としてイスラエルに対し、ミサイルの売り込みを行っていた。

 後に「ミスター・ミサイル」としてパトリオット迎撃ミサイルの原型を作り出すパールの政治家としての活動費は、全額フイシャーが出していた。

 フイシャーの命令に従い、頭の良いパールはソ連国内のユダヤ人をイスラエルに脱出させる法律を作り、しかも「ユダヤ人かどうかの審査を極めて緩くする事」で、事実上誰でも自由にソ連、ロシア製の武器と麻薬をイスラエルに持ち出せるように考えた。

 そしてイスラエルと米国との武器密輸ルートは、イスラエル建国時にイスラエルへ大量に米国が武器を供給していたことから、すでに確立されていた。

 リッチからフイシャーへ要請されフイシャーからパールへと命令された問題はこうしてこのルートでロシア、イスラエル、米国の麻薬・武器密輸の「地下道」は出来上がるものとパールは考えた。  (頭のいい悪徳政治家)へ 続く

 

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