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気になる芸能人

芸能人の芸名にも色々あってその中には人生のドラマが隠されて居り、それらをたどってみると人生の機微に行き当たる印象深いものの存在に出逢う事がある。私が18歳で上京して初めて中古のテレビを買い〔三菱電機製〕、最初に見たのがミヤコ・蝶々と南都雄二の司会による『蝶々・雄二の夫婦善哉』という番組だったように思う。

このことの印象が有って、それ以来・ミヤコ蝶々と南都雄二・のことが私の気持ちのどこかに今日までずーっと潜んでいたような気がする。特に南都雄二については、蝶々以上に私の心に引っかかるものがあった。

私はこの一月からパソコンを習い始め、他の事はさっぱりわからないうちに、ブログの書き方だけを先生に教わり,[永人のひとごころ]を書いて来た。最近、心に残る南都雄二の芸名の事をなぜか書いてみようと思うようになり,下調べをしてみたのである。

ついでに『私とミヤコ蝶々を結びつける要素はあるのか無いのか、あればそれは何なのか』についても、調べてみようと思った。

ミヤコ蝶々は父・日向栄治郎と母・ハナとの間に生まれ〔両親ともに大凶名〕、早くから父の劇団で舞台に立ち、15歳で吉本興業に入ったために、余り学校へ行けなかったようである。父はこの後,『さき』という芸者と駆け落ちしてしまった。

彼女は17歳年上の三遊亭柳枝という役者と結婚するのだが、夫が座長の柳枝劇団へ大阪電気学校を卒業して入ってきたのが蝶々よりも4歳年下の吉村朝治(よしむら・ちょうじ)青年だった。吉村は照明部を担当し、一座の裏方を勤めていたのである。この吉村青年を蝶々は弟子にしたのである。

蝶々の本名は『日向鈴子・ひゅうが・すずこ』である。夫の浮気で悩んでいた彼女は自分の『鈴』の字と、将来自分の『夫』にしようと思ったかどうかは知らないが、『夫』の字を足して,『鈴夫・すずお』という芸名をつけたのである。・・・二へ続く。

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