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オーイ!海軍!

私の叔母が経営する加工所には浦和工場が有り、そこには25人ほどの従業員が居りました。工場長は宮城県塩釜市出身の37歳の男性で夫婦揃って工場に住み込み、働いておりました。たまたま私もそこへ、手伝いに行き、場合によると、京浜東北線に浦和駅から乗って、そこから国士舘へ通う事もありました。当時の国士舘は制服が義務だった為、当然これを着用しての通学でしたが、その制服は旧日本海軍の下士官服だったので、他の者から見て異様に映ったかも知れません。

昭和40年6月頃の或る日曜日、工場長が虫垂炎で入院し奥さんが付き添いの為留守に成り、工場の脇にある100坪程の畑に叔母に頼まれて『武喜さん、工場のトイレが満杯になったでしょうから、汲み取って畑に撒いてください。いいですか?』と頼まれ『ハイ、やります!』という訳で,朝九時頃から作業を開始した。30分くらいたった頃、「おーい!かいぐーん!」と古い自転車で40歳過ぎくらいの頭ぼさぼさ、髭ボーボーの男が声高に叫びながらやって来て、「オイ!鼻に来たぞ!どうしてくれるんだ!?」と騒ぐ。

「あれが俺様の屋敷だ、ヨーク見ろ!あそこで寝てたら、ツーンと鼻に来て目が覚めてしまった。どうしてくれんだ?この臭いで俺を殺す気か?海軍!」と言う。隣近所で一番近いのがこの御仁で、立っている畑から100メートル位離れた粗末な家に住んでいた。何処からか私の制服姿を見ていたのだと思う。その御仁は、精神科に度々入院していると聞いていたのでまともなやり取りを避けて咄嗟に『気をつけ』の姿勢を取り、その御仁に敬礼をして『吉野二等兵、間もなく作業を終わります。上官殿!今しばらく鼻にご迷惑をかけますが、お許しください!』と言った。

じっと私を見ていたが、少し間をおいてから「よーし!吉野二等兵気に入ったぞ!上官として許可する。その肥やし撒きを毎日でもやってよろしい!」と言ったかと思うとニコニコ笑って帰って行った。直立不動で敬礼され、『上官殿!』と真面目な顔で言われた事がよほど嬉しかったのだと思うが、それから2時間程費やして、無事作業が終わった時は達成感もあり、私の方が余程嬉しかった。

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