大山町農協・木の花ガルテンについて組合長さんより説明をしてもらいました。
「梅栗植えてハワイへ行こう」というキャッチフレーズのもと、農業の構造改革に取り組んだのは昭和36年です。
耕地に恵まれぬ(農家1軒当りの耕作地の平均は40アール)山村の宿命として土地収益性を追求。
耕種農業から果樹農業、天候に左右されない施設を利用した少量生産多品目栽培、高付加価値販売へと進み,1億円を超える産品が9品目と育った。(エノキ茸、なめこ、生椎茸等の菌茸類の年間販売高は15億円になった)
[月給が取れる様にしよう],[サラリーマンと同じような勤務体制となるように]、「月収農家、週休3日制の農業、これをやらないと1代で終わる。」
昭和40年に、毎日何らかの農産品を出せる仕組みを作って、毎日現金が入るような仕組みにしよう。
昭和48年、きのこ施設建設、昭和50年、食品加工場の建設。
H21年の農産物販売高は20億円、農産加工製造販売は7億円となる。
木の花ガルテンは、H2年に出荷農家50人から始まり、年間販売額6800万円でしたが、H20年には出荷農家約3600人に成長、店舗も8店舗となり、年間販売額は15億6千万円、今回視察した日田店には60万人が、ここの品物を買う、あるいは併設のレストラン、加工品物産館を目的として訪れています。
写真はレストランの昼食時の模様です。
バイキング形式の昼食でしたが、12時を過ぎるころから来店客で満席となりました。
片品村のこれからの農業を考える時、大変参考になりました。
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