なんでもアラカルト

エッセイ・イラストを対等に扱ったまったく新規な本の出版に関連する記事(Daily)

二つのズームから新たな発想へ

2021-07-19 06:27:57 | Weblog

昨日、午前・午後と、続けて二つのオンラインズームを実施した。

一つは、鳴門在住のRBさんとのズームで、先日の「なんアラ」オンライン交流会でも出た、今後のテーマに関することで、スポーツは何のために行うのか?

このテーマを取り上げると面白いと感じたのは、YSvsOUAC部員とのやはりオンライン交流会での趣味の話しから着想した。

それは、直前に迫ったオリパラも含めてルールに縛られたスポーツと、全くルールを外した自分のその時の気分次第で、自由に行動したいというスポーツに大きく分かれるのではないかと、感じ始めたからである。

これを、自分のやってきた、又現在もやっているスポーツを振り返ってみると、前者・後者共にまんべなくやってきたように思われる。

最近は、後者に魅力を感じることが増えてきている。例えば、スノボ・サップ共に、自由を満喫できるスポーツと位置づけられる。

一方、前者に該当するインディアカや卓球は、結構ルールに縛られ、しかも一人では行えないスポーツである。

この、コロナ禍、更に、前者のスポーツはしにくくなっている。オリパラが良い例で、そのルールスポーツのために、関係者は苦しんでいるように思える。

これは、クーベルタン男爵が思い描いた精神とは、今のオリパラは乖離していっていることを意味しているのではないかと思うのは、私一人であろうか?

 

もう一つの午後からのズームは、高1孫と不定期に行っているオンライン交流会で、数Ⅰの不定方程式の解を求めているときに、ふと思いついた発想である。

それは、関数の考えを、もっともっと、低年齢から、教育してみればという内容で、定石通りの回答例とはちょっと違った、本来の算数・数学の面白さの原点に近づくものと考えている。

つまり、就学前の子供たちが描いている〇と直線だけでスタートしたアートの世界を自由に広げて行ける、関数の世界を分かりやすく、子供たちに伝えていく大きなチャンスであると考え、その機会を大人たちが教育と称して、奪ってしまっているのでは無いかと思っている訳である。

さて、具体的に、どんな活動が有るのか、じっくりと考えてみたいと思っている。

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