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江戸湊と佃島散策(後編)

2009-11-11 22:45:52 | Weblog
高橋をわたり、隅田川テラスに。

と歩くと、逆三角形のものが!
これは、「霊岸島検潮所」。
ここで観測した潮位を「0」として、日本全国の高さを決めていたそうです。
ここが0として、富士山の高さも決まったとのこと。



現在は、検潮所は永田町にうつったとのことです。

隅田川テラスからは、中央大橋がみえます。



中央大橋はレインボーブリッジと同じに日に開通したそうで、当時はこんなに立派な橋なのに
ニュースはみんな、レインボーブリッジにとられてしまったそうです。


字形のタワーは、かつての石川島が「鎧島」と称されていたことに因んだデザインだそうです。

中央大橋をわたり、いよいよ佃島へ。

石川島燈台跡を過ぎ、住吉神社へ。





摂津国西成郡佃村(大阪府)の名主森孫右衛門に従って江戸に下った33人の漁師たちが築いた島であることから、佃島と称すようになります。
摂津国の住吉神社と同じで神職平岡権大夫好次が分神霊を奉戴して鎮座しました。

このときの神職の家系が今もずっと続いています。正確には現在の禰宜は平岡さんではないようです。

こちらの水盤舎は、漁民が漁をしているようすが彫刻されている珍しいものです。



鳥居の上にある扁額は陶製のもので、題字は有栖川宮幟仁親王の筆によるものだそうです。
この日は、七五三でお参りにたくさんの人が訪れていました。




住吉神社から佃小橋へ。
住吉神社の例大祭であがる幟がうめてあるところの説明をうけました。
(去年じ~っとみておりました。こちら


佃小橋をわたり、波除稲荷神社へ。
まず波除稲荷というのは、埋立地には必ずあるものだそう。

佃の人々が台風や津波の被害が少ないようにと祈ったようです。
境内には佃の人々が奉納した「さし石」があり、(力石のこと。ふつうは持ち上げる程度ですが、
さす・・まであげるのでさし石)区民文化財になっているとのことです。



知っていた佃の話、新しい発見もあり、楽しいお散歩でした。

お散歩はここでおしまい。
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