「なばなの里」ベゴニアガーデンの温室前半部分を抜けるとバラ園が。
多くのバラが咲き乱れておりました。
今回、墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)、千代保稲荷神社に来たついでに、
「宝暦治水」の堤防をドライブした結果、「なばなの里」にも立ち寄る事に。
「宝暦治水」
江戸幕府により薩摩藩に命じられた木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の治水事業のこと。
宝暦3年(1753年)の大洪水の後、水害に苦しむ人々の申し出を受け、
徳川幕府は薩摩藩に木曽三川の治水工事を命じました。
宝暦4年、平田靭負を総奉行とする947名の薩摩藩士が美濃に派遣され宝暦治水の開始。
ほぼ下流部全域におよび、なかでも油島締切り工事、大榑川洗堰工事(おおぐれがわあらいぜきこうじ)、
逆川洗堰締切り工事は最も難しいといわれる工事でした。
途中、工事計画の変更や大雨により工事をやり直すことも度々で多額な費用を費やしましたが、
ついに宝暦5年(1755年)5月に工事完了。
しかし、工事中51人の割腹者と33人の病死者を出したことや、多額の借金を出してしまった責任を負い、
総奉行の平田靭負は割腹自殺をとげたといわれている。
日本の治水事業の中で最も困難な工事と言われた宝暦治水。
木曽三川の完全分流には至らなかったのですが、
治水の先駆けともいえる工事だったことから、
今でもその偉業がたたえられています。
右側から木曽川・長良川・揖斐川。
木曽三川がほぼ同じ場所を流れています。
長良川と揖斐川が近づく場所には
水と緑の館・展望タワー、治水神社、薩摩義士之像などが有ります。
この川に挟まれた堤防(道路)をドライブするのはワクワクしますね。
先人の知恵、技術、努力には敬服いたします。