顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

水戸城大手門復元と水戸の梅まつり

2020年02月12日 | 水戸の観光

水戸城二の丸の復元整備のひとつ、大手門復元工事が2月初旬に終了し開門されました。大手門から南西への土塁上に復元中の土塀と先端の隅櫓も年末には姿を見せ、徳川御三家水戸城の在りし日の姿が実感できるようになってきました。

6回に及ぶ現場発掘調査や現存する絵図や古写真から寸法や意匠などを割り出し、当時の工法、材料を使って同じ場所に同じ姿で復元することに重点がおかれました。

この門は水戸城の中枢、二の丸の正門で、佐竹氏が水戸城主だった慶長6年(1601)年頃に建てられ、その後江戸時代に何度か建て替えが行われ、明治になってから解体されたとされます。江戸時代初期の様式を残す古風な城門で、土塁に取り付く形式では国内でも屈指の規模をもつそうです。

木造2階建てで、桁行(左右の幅)17.18m、梁間(奥行)5.73m、高さ13.34m…、1階の鏡柱と冠木、大扉などは欅材ですが、巨大建具のため全国を探しまわり、大扉は山形産の欅、寸法は片側で幅約2.6m×高さ4.7mで重さは約900kgです。
手前の梁は約17mの松の一本もの、松くい虫被害が北上しているのでやっと岩手県で見つけたそうです。

発掘調査で出た、土塁と大手門の間をつなぐ瓦塀(練塀)を保護しながら、瓦と漆喰で外観を復元しました。

屋根瓦は約1万6千枚で本瓦葺き、発掘された瓦を参考にして大棟、下棟、隅棟、鳥衾なども復元されました。大棟には天保時代に多用されたという棟積飾瓦(輪違い)が使われました。

大手門の開口部から見えるのは、大手橋と三の丸の弘道館、当時の建物が残っているので絶好の撮影ポイントになりそうです。

大手門を出て大手橋を渡ると三の丸、ここには重臣屋敷がありましたが、9代藩主斉昭公がすべて立ち退かせ、105,000㎡の土地に日本最大の藩校弘道館を建てました。現在その一部の正庁、至善堂、正門が当時のまま残っており重要文化財に指定されています。

この一画は弘道館公園として60種800本の梅があり、水戸の梅まつり(2月15日~3月29日)は偕楽園とここが会場になっています。

水戸の6名木「月影」、その名の由来にもなっている緑色の咢を纏い清楚な花を開きました。

弘道館建学の主旨のひとつ「神儒一致」、儒学の祖である孔子を祀る孔子廟に八重寒紅が彩りを添えています。

弘道館建学の精神を記した弘道館記碑が納められている八卦堂です。常陸太田産の寒水石(大理石)製の石碑は、東日本大震災で碑文面が崩壊し、ジグソーパズルのように組み合わせて復元されました。

間もなく水戸の梅まつりスタート、去年より1週間以上早い開花状況なので、お客様をお迎えする準備はすでに整っているようです。


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