もりたもりをblog

Valuation/Accounting/Finance/USCPA
何事にも前向きに取り組みます!

バラッサ=サミュエルソン効果は中国にあてはまるか②

2010-04-15 09:54:30 | economics view
 バラッサ=サミュエルソン効果をもって元の大幅過小評価の根拠とし、人民元の切上げ要請の正当化はできるだろうか。
 これまでのところ中国経済におけるバラッサ=サミュエルソン効果の成立そのものについて否定的な見解を示す向きが多い。例えば、その論拠として、中国経済の最大のシェアを占める製造業部門に対し、労働供給が無制限(農村部には余剰労働力が1億5,000万人程度存在するとされている)に行われているということを筆頭に挙げられている(22)。しかしながら労働力の供給が賃金に対して非弾力的に無制限に行われているというよりもむしろ、中国の特殊な労働市場の構造という側面からバラッサ=サミュエルソン効果を否定する説明も可能であると考えられる。

 中国ではバラッサ=サミュエルソン効果を成立させるための重要な仮定の幾つかが成立していないが、そのなかで最も問題となってくるのが、各国における単一労働市場の仮定である。
 中国においては、地域(農村部と都市部)間、及び部門間における賃金格差が近年特に拡大していることから、中国一国内に単一労働市場を仮定することが困難な状況となっている。中国の人口はおよそ13億人、そのうち労働力人口はおよそ7.5億人いるといわれ、その数字だけをみれば、労働供給は無限のようにみえるが、実際は戸籍制度(23)等により都市部と農村の間で自由な人口の流出入が制限されていることもあり、労働市場の流動性が低く地域間で賃金裁定が起きにくい構造となっている(24)。一般に、都市部では貿易財部門の従業者が多く、農村部では非貿易財部門従業者が多いとみられることから、農村部に過剰労働力が存在することは当該地域の賃金を抑制する方向に作用しており、ますます地域間賃金格差は拡大する傾向にある。
 こうしたことに加えて、同一企業内においても賃金動向が二極化する傾向にあることがさらに問題を複雑にしている。公式統計では当該部門の正規雇用者の平均がとられているため、賃金の実勢を反映していない可能性がある。中国での同一企業内における賃金格差は相当程度大きく、少数の管理職と多数の一般従業員の間には実に数十倍の格差があるとされている。いわゆるホワイトカラーの賃金は、高等教育の普及が遅れていること(25)等もあり、既に労働供給の制約が強く効いてきており、上海等の沿海部における都市部において近年著しい上昇がみられている。その一方で、マニュアルワーカーの賃金については、近年の生産性の伸びにも関わらず、賃金上昇率は相対的に低水準にとどまっているといわれている。さらに、農村部等から多数受け入れている非正規従業者の受け取る賃金は正規従業者と比較して極端に低いとはされているものの、統計には反映されていない(26)。故に、マニュアルワーカーの水準の労働力であれば、目下のところは賃金に対して非弾力的に労働が供給されているということがいえるかもしれない。
 以上のような要因により、中国においては一元的な労働市場を仮定することが難しいことから、バラッサ=サミュエルソン効果を支える最も重要な要素となっている「製造業部門における生産性上昇を通じた賃金上昇が非製造業部門へ波及するという経路」が断たれてしまっているために、高成長にもかかわらず通貨の実質的な増価には結びついていないということができる。
 なお、「労働生産性の上昇に応じて賃金が上昇」していない理由として、よく挙げられるのが、中国の労働資源の潤沢さである。だが、もしそれだけに依拠するならば、目下のところは労働供給の制約がないようにみえるマニュアルワーカー相当の人材についても、今後、より産業構造が高度化していくにつれ、それに対応しうる労働力の供給は現状をかんがみると、早晩、制約的になってくる可能性が高く、楽観視できない。
 実際、すでにマニュアルワーカー相当の労働力でも、労働力不足が外資系企業を中心に2001年以降顕著となっているという報告もある。その背景として、(1)社会保障制度が未整備である等、労働条件の悪化、(2)低賃金そのものに対する不満、(3)労働環境の悪化を挙げ、当初の買い手市場から最近は売り手市場に移行しつつある状況を考慮すると、近い将来、こうした労働者の不満を反映して賃金上昇圧力が高まっていくだろうという指摘がなされている(27)。



3.中国自身も必要とする為替制度の変更

 これまでみてきたように、中国との二国間では貿易不均衡が発生している国があるものの、経済理論的な評価として、経済実態からみて人民元が具体的にどの程度過小評価されているかについてコンセンサスが存在するとは言い難い状況にある。
 したがって人民元を望ましい水準に是正するという目的だけでは、海外の要人が中国に対して為替制度の変更を要請することが正当化され得ないと考えられる。現に、中国政府当局も海外政府要人の度重なる人民元切上げ要請発言に対しては、繰り返し一貫して「外圧による為替制度の変更は行わない」と発言してきている。
 しかし一方で、中国人民銀行は為替制度に弾力性を導入することについて検討中である旨、周小川総裁や温家宝総理等の政府要人が幾度となく発言している。
 本年3月に開催された全人代閉会後の記者会見において、温家宝総理は、(1)長期的に目指しているのは管理された変動為替制度であり、(2)現行制度へ弾力性を導入するにあたっては、マクロ経済の安定と発展の維持、及び金融システムの健全な運営を前提とし、中国経済のみならず関係する他国の経済への影響を十分に考慮した上で、タイミング及び手法を選択するとし、その実施は市場の意表をついたものとなるだろう、と述べ、以後の中国政府要人の発言は基本的にこの線に沿ったものとなっている。
 中国政府当局が自ら為替制度を見直す動きを示している背景としては、人民元の評価水準そのものよりむしろ、現行の事実上ドルにペッグした為替制度を維持する経済的合理性が徐々に消滅し、コストの方がむしろ大きくなってきたことが考えられる。開放経済が進展するなかで大国化しつつある中国は、いわゆる「開放経済下におけるトリレンマ」に直面しつつある。事実上の固定相場制を維持しながら国内の金融政策の独立性を維持するためには大きなコストがかかることが明らかになってきており、マンデル=フレミングモデルに示されるように、マクロ経済政策の有効性を将来的に担保しようとするならば、現行の事実上ドルにペッグした為替制度から離脱することが必要となる。この問題を解決するためには中国当局としても為替制度の在り方について検討する必要性が生じてきたと考えられる。
 現在の中国が直面している固定相場制の維持によるコストとしては(1)不胎化政策の限界、(2)外貨準備高の急速な積み上がり、(3)資金の非効率配分等の問題が存在する。

(1)「開放経済下におけるトリレンマ」と金融政策の独立性の確保

● 「開放経済下のトリレンマ」に直面する中国
 現在の中国経済がどのような状況に置かれているのかを理論的に説明するものとして、Mundellコロンビア大学教授が提唱した、いわゆる「マンデルの不可能な三角形(Mundell's incompatibility triangle)」もしくは、いわゆる「開放経済下のトリレンマ(Open-Economy Trilemma )(28)」がある。
 これの意味するところは、(1)国境を越えた自由な資本移動、(2)為替相場の安定、(3)国内均衡(完全雇用)を実現するための金融政策の独立性、という三つの金融政策の目標のうち、完全に両立しうるのは最大二つまでというものである。
 これを現在の中国に当てはめてみると、事実上ドルにペッグした為替制度をとっていることから、(2)と(3)を選択している形となっている。しかしながら、近年の貿易量の拡大、切上げ予想に基づく投機的な資本流入、WTO加盟の際のコミットメントの実施等により、事実上資本取引規制の実効性が失われつつある。
 そもそも、中国のように経済規模の大きい国にとって三つの政策目標は対等な関係になく、三つのうちから二つの政策目標を自由に選べるというものではない(29)。仮に資本移動が自由化された場合、現行の事実上ドルにペッグした為替制度を無制限な介入によって維持するのは非常に困難であるとみられる。
 これをMundellコロンビア大学教授が提唱し(30)、McKinnonスタンフォード大学教授(31)が更に拡張した「最適通貨圏の理論」に基づいて述べるならば、固定相場制を放棄するか否かの選択にあたっては、当該国の経済が、香港のように開放(32)された「小国」か、中国のように国内市場が十分に大きく、その動向が世界経済に影響を及ぼし得るほどの「大国」かによるところが大きい。したがって中国のように、13億人からなる巨大な国内市場を抱え、貿易量のGDP比も高い「大国」は、むしろ為替の変動を許し、(1)、(3)を実行するほうが望ましいものとみられる。
 また、今のところは落ち着いている物価動向ではあるが、原油高が継続するなか、エネルギー効率が世界的にみて極端に悪い中国は、燃料価格の高騰等直接的な影響が顕在化しやすい状況にあるものとみられ、また、中間投入財価格や賃金の上昇に伴う間接的な影響に関しても引き続き予断を許さない状況にある(33)。実際インフレになった場合に、人民元の増価圧力が一層高まることをおそれて金融引締めのタイミングを逃すようなことがあれば、インフレはますます加速するであろう。インフレの兆候がまだ差し迫ったものでないのは、価格転嫁が川下まで及ぶまでに相当のタイムラグが発生しているだけに過ぎない可能性もあり、物価動向については今後特に注意する必要がある。

最新の画像もっと見る