シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

社員の70%が脱北者、今伸び盛りの中小企業の隠し玉

2012年06月28日 23時59分51秒 | Weblog
韓国大手紙・ 東亜日報12年6月27日記事
「初めの頃は、彼ら同士で、ものすごく喧嘩をしたんですよ。なぜ、そこまで争うのか理解できませんでした。当時を思い浮かべるだけでも、唖然とします」
6月26日午後、京畿道高陽市一山東区獐項洞(キョンギド・ゴヤンシ・イルサンドング・チャンハンドン)のブラインド専門メーカー、(株)ウッドリム・サンブラインドのキム・ヨンス本部長は、 このように話した。見掛けは他の中小企業と変わらなかったが、従業員33人の内24人は、北朝鮮から逃れてきた脱北者だった。
●「脱北者」から「大韓民国国民」に
北朝鮮咸鏡南道端川市(ハムギョンナムド・ダンチョンシ)出身のチェ・スクファさん(54、女)は09年に入社し、ブラインド組立作業を行っている。04年に韓国に来ており、大韓民国国民になってから、今年で9年目を迎えている。チェさんは、「会社で同僚たちとおしゃべりをし、退社後は今年で4歳の可愛い孫娘と時間を過ごす」とし、「幸せに暮らすことの意味を、韓国に来て初めて覚えた」と話した。
同社は09年、初めて脱北者を雇い入れた。経営環境が芳しくなかったため、足りない人手を補足し、人件費を減らすためだった。そこで一人2人を雇い始めたのが、いまや全従業員の70%が北朝鮮出身となった。
しかし、脱北者の職場での生活は思うほど容易ではなかった。些細なトラブルが争いへと発展した。会社を辞めることも頻繁だった。同社の脱北者の平均勤務期間は1年足らず。与えられた自律の中での規則や共同作業、技術習得の難しさのため、しっかり適応できなかったためだ。
●脱北者2万人時代、首都圏に65%が集中
毎日、いざこざの絶えなかった脱北者が、変わり始めた。会社で脱北者を対象に、韓国職場文化を教え、ふれあいの場もたびたび設けた。様々な政府支援情報も共有し、職員らの自宅に無料でブラインドを取り付け、相互への信頼を築いてきた。自然に転職も減ってきた。
07年に韓国にきたソン・チュンファ(仮名、45、女)さんは、「お金を稼ぐことばかりで頭が一杯だったため、食堂や蛍光灯組立会社で、手当たり次第に仕事ばかりした。会社の空気など気にする余裕はなかった」とし、「ここは同様の経験を持っている脱北者が多いためか、職員同士で力になっている」と話した。
会社も、脱北者の雇用後、堅実な中小企業へと成長した。09年までは、年間売り上げがわずか8億ウォン(約5440万円)だったが、建設景気の不況にも関わらず、昨年は50億ウォン(約3億4000万円)を超えた。1485平方メートル(約450坪)規模へと工場を増やし、現在の場所に引っ越してきた。
韓国入りした脱北者は4月末現在、2万人を越えている。ソウル(5978人)、京畿(5692人)、仁川(インチョン、1950人)など、首都圏に全体の65%が集中している。もはや、脱北者は疎い存在ではない。しかし10人中7人は、職にありつけず、基礎生活受給者として、細々と暮らしている。政府と地方自治体は、脱北者の安定的な社会定着に向け、地域適応センターの「ハナセンター」や「世話相談センター」を通じて、適合型就職専門教育などを行っている。





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