シニア花井の韓国余話

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再び動き始めた利敵団体

2012年09月06日 22時59分59秒 | Weblog
韓国大手紙・ 朝鮮日報12年9月4日記事抜粋
検察、内偵に乗り出す
 8月21日、仁川市のマッカーサー元帥像の前に「マッカーサー銅像打倒特別委員会」のメンバー約10人が集まった。メンバーらは「マッカーサーは韓国戦争(朝鮮戦争)当時、数百万人の罪のない人々を虐殺せよと命令を下した張本人。今こそ、侵略と虐殺の元凶マッカーサーの銅像を民衆が打倒しよう」と叫んだ。
 8月21日のデモは「わが民族連邦制統一推進会議(連邦統推)」のキム・スナム議長(71)が主導していた。キム議長は、2004年に北朝鮮の工作員に報告して連邦統推を結成。06年には北朝鮮の指令を受けてマッカーサー像撤去デモを行った容疑で起訴(2010年)され、懲役3年・執行猶予5年の刑を言い渡された。今年1月には、連邦統推自体を利敵団体とする判決が大法院(最高裁に相当)で確定した。そのような背景を持つキム議長が、6年ぶりにまたも「マッカーサー像撤去運動」に乗り出したことを受け、韓国の検察も内偵に乗り出した。
 「国家保安法上の利敵団体」という確定判決が出た後も、メンバーが北朝鮮を称賛するなど従北(北朝鮮に追従する)活動を行うケースが続出している。利敵団体とは、北朝鮮と連係し、北朝鮮の主張や方針に同調する団体を指す。利敵団体を解散させる法的根拠がないため、こうしたことが続いているという。
 先の総選挙で統合進歩党から比例代表15位で出馬し問題となった黄羨(ファン・ソン)元進歩党副スポークスマンは、1998年に韓国大学総学生会連合(韓総連。98年7月に利敵団体確定)代表としてひそかに北朝鮮に渡り、実刑判決を受けた。05年には北朝鮮で子どもを出産し「平壌遠征出産」問題を引き起こした。さらに08年には、実践連帯(10年7月に利敵団体確定)付設のインターネット放送で「黄羨の統一カフェ」という番組を持っていた。
 検察は2011年7月、北朝鮮体制での吸収統一を主張する「統一大衆党」事件を捜査した際、国家保安法違反の前科を持つ人物や非転向長期囚(政治犯として収監され、刑期を満了したにもかかわらず、思想を改めていないことを理由に拘留を継続されている者)の名簿を発見したという。
公安当局の関係者は「利敵団体は複数あるが、名前が違うだけでメンバーはお互いに知り合いだったり、重なっていたりするケースが多い。そのため、利敵団体同士での“移籍”が活発に行われている」と語った。
 祖国統一汎(はん)民族連合(汎民連)南側(韓国側)本部(95年2月に利敵団体確定)の副議長を務めた姜舜(カン・スンジョン)氏(82)は、2000年代初めに北朝鮮から「連絡を取るためインターネットを学べ」という指令を受け、ソウル市鍾路区庁でインターネット講習を受けた。この時点で姜氏には北朝鮮に関与したさまざまな前歴があった。1994年に金日成(キム・イルソン)主席弔問団を結成し、97年には国家機密を北朝鮮に渡した罪で実刑判決を受けて服役していたのだ。北朝鮮の指令通りインターネットを学んだ姜氏は、北朝鮮の工作員と128回にわたって連絡を取り合い、2006年に再び懲役2年6カ月・執行猶予3年の刑を言い渡された。汎民連の「顧問クラス」には、国家保安法違反の前科だけで5犯という人物もおり、中心メンバーの大半が前科2犯以上だという。
 利敵団体の確定判決を受けても今なお活発に活動している団体は、汎民連南側本部・海外本部をはじめ5団体程度だ。とはいえ、名称だけ変えるケースや、メンバーを一部入れ替えて再び活動するというケースも、少なくないといわれている。
韓総連は、05年に韓国大学生連合(韓大連)へと名称を変更した。また、10年7月に利敵団体判決を受けた実践連帯は、その後「民権連帯」という名前で組織を整理し直した。このほか、09年1月に利敵団体判決を受けた韓国青年団体協議会は、事実上「韓国青年連帯」に名称を変更しただけでメンバーはほとんどそのまま、というのが公安当局の説明だ。




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