シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

【萬物相】楽しかった昔の結婚式

2012年06月30日 18時13分03秒 | Weblog
韓国大手紙・ 朝鮮日報12年6月29日記事
 1991年夏、慶尚南道統営市の沖合いにある小さな島で、4日間にわたり小説創作教室が開かれた。2日目、講師として訪れた小説家ユン・フミョンさんと、ユンさんの作品を愛する受講生が結婚式を挙げた。小説家チョン・ヨニさんが島全体を歩き回って 花を探し、花嫁のブーケを作った。小説家イ・ホチョルさんが主礼(式を執り行い、新郎新婦にお祝いの言葉を語る人)を務め、詩人イ・グンベさんが司会を務めた。祝歌は小説家ユ・ヒョンジョンさんが歌った。キム・ジュヨンさんは文友の新たな門出を祝い、涙した。式は一貫して質素なものだったが、真心のこもったお祝いの言葉があふれていた。
 結婚はお祭りだ。かつて韓国で結婚式と言えば、それこそ町内を挙げての宴会だった。花嫁の家の中庭が式場となり、レストランとなり、遊び場となった。親戚や隣人は、自分の生活水準に合わせて酒や餅、たまごなどを持ち寄った。新婦側はさまざまな色の餅を板の間に並べ、花輪のように飾った。誰でも結婚を祝うことができたし、誰でも飲んで歌って楽しむことができた。だが、その時代に行われた結婚式は、1950年代に専用の式場が登場したことで、次第に限られた空間へと追いやられていった。
 韓国戦争(朝鮮戦争)の後、ソウルに初めて登場した結婚式場は、鍾路区貫勲洞の鍾路結婚式場だった。公会堂のようにのっぺりとした室内空間にイスを並べたに過ぎなかったが、花嫁はベールをまとい、新しいスタイルの結婚式を挙げることができるという点で、人気を呼んだ。その後、歳月が流れ、結婚式はまるでコピー商品のように同じ形式で行われるようになった。田舍の祖父の元で育った詩人チョン・イルグンさんは、2番目と3番目の叔母が嫁に行った日のことを、最も楽しかった宴会として記憶している。チョンさんは「結婚式がお祭りだった時代は、もはや昔のことになってしまった。招待状が納税書のように見え、食べ放題の食券のようにも見える」と話す。
 先日、同紙に掲載されたある結婚式の話では、「祭り」という意味の結婚式が新たにクローズアップされていた。韓国人の花婿と日本人の花嫁は、時間に追われながらそそくさと式を進めるのが嫌で、坡州の自然学校を借りた。その畑で採れた野菜でおもてなしの料理を準備したが、その費用を合わせても式場費は計430万ウォン(約31万円)にすぎなかった。招待状は花婿と花嫁が手作りで作成し、ブーケは花嫁と友人が作った。ドレスは友人のものを借りた。化粧も自分でした。家族や知人ら130人が集まり話に花が咲き、昼の2時に始まった結婚式と披露宴は、実に夜明けまで続いたという。
 それでは、都心で結婚式場以外に婚礼を挙げられる所があるのかと質問されそうだが、決してないわけではない。教会や聖堂、区役所、公共の図書館などがあり、幼いときに通った小学校の校庭も立派な候補と言えるだろう。もの静かな野外には、雰囲気のいい場所も多い。花婿や花嫁、そして両家の親同士がよく話し合い、世間体や見栄などを捨てればいいだけだ。大量の招待状をばら撒く必要もなく、出席者を苦労して呼び集める必要もない。そうすれば、坡州自然学校で行われた結婚式のように、誰もが参加したくなるお祭りのような結婚式を挙げることができる。
呉太鎮(オ・テジン)首席論説委員




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