おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

河内厚郎のおもしろ歌舞伎塾

2012-08-31 23:56:31 | その他いろいろ(歌舞伎)
 サンケイリビングのリビングカルチャー倶楽部「河内厚郎のおもしろ歌舞伎塾『盛り上がる勘九郎襲名披露』」を聴講してまいりました。案内には「中村勘太郎改メ六代目中村勘九郎の襲名披露。坂東玉三郎ら多彩な俳優陣が出演する、昼夜の演目の見どころをわかりやすく解説します。」とあったので、9月の松竹座を見る前に勉強しよう!と勢い込んで行きましたが、想像していたのとはちょっと違っていました。

 行ってみると机の上に資料が何枚かおいてありましたが、九月大歌舞伎についてはチラシの裏の【解説と見どころ】がコピーしてあるだけで、襲名なので系図もコピーしてありましたが「いつのん?」ってくらい前のもので、当代の勘三郎さんがまだ勘九郎となっていました。あとは新聞記事のコピーが3枚。これらを見て何となく???になりつつ、河内先生の登場を待ちました。

 河内厚郎先生のプロフィールはこちら

 関西の文化(芸能)に非常に造詣の深い方で、新聞でもよくコメントが載っています。この日(29日)も昼間はYTVの「ミヤネ屋」に出演され、染五郎さんの事件について解説してこられたそうです。それを終えて走ってこられたそうで、そのせいか、あるいはもともとそういう性格なのか、系統立ててお話されることはなく、あちこち・いろいろ話が飛びます。ご自分でも、最後に「いつもミーハー話ばっかりで」っておっしゃっていたので、バラエティに富んだ内容がこの講座のウリなんでしょう。

 でも、それだと、ブログに書けないんですよね。とりあえず、私もお聞きした内容をアトランダムに書いていきます。

 なぜかいきなり「瞼の母」からです。新国劇のほうで有名なお芝居です。歌舞伎の演目って、新派や新国劇、松竹新喜劇からずいぶんと取り入れているそうです。

 ここで、歌舞伎・新派・新国劇・松竹新喜劇の関係の説明がありました。明治時代、歌舞伎は「旧派」と言われ、それに対抗して「新派」「新国劇」「松竹新喜劇」ができ(吉本新喜劇は全く別物)、さらに新劇や小劇場が登場して、「新派」「新国劇」「松竹新喜劇」は中間的な存在になってしまい、間に挟まれて地盤沈下が激しく、「新国劇」は解散、「新派」「松竹新喜劇」ともに集客に苦しんでいる状況です。一方、旧派の歌舞伎ですが、非常に元気です。スター役者は次から次へと表れるし、半年に一度くらいの割合でスキャンダルが勃発、ワイドショーや週刊誌で取り上げられ、それによって世間の注目度が上がりうまく回っています。歌舞伎は清濁全て飲み込んで生き延びている芸能だそうです。

 「瞼の母」は明治時代に作られたお芝居なので、日本語も現代に近く、非常にわかりやすいお芝居です。「瞼の母」は先代の勘三郎丈の当たり役だったそうで、ここで昭和31年のビデオを拝見しました。母・おはまは新派の喜多村緑郎でした。やっぱり、当代の勘三郎さんによく似ていらっしゃいました。

 「妹背山女庭訓」は義太夫狂言なので「瞼の母」に比べると言葉はわかりにくいかも、とおっしゃっていました。「妹背山」は、奈良を舞台にしたお芝居の数が非常に少ないにもかかわらず、歌舞伎の中では超有名な作品です。見どころはいじめの官女です。時代設定は奈良時代なので、時代物の部類に入るけれど、世話物の要素もあって、その“荒唐無稽”さが面白いそうです。この“荒唐無稽”という言葉、河内先生、何度もお使いでした。夜の部の「女暫」も特に取り立ててストーリーはなく、やはりその“荒唐無稽”さを楽しむもの。様式で見せる演目で、お芝居というよりも、ショーやレヴューに近い感覚、これが江戸歌舞伎の特色と言われています。それに対し、上方歌舞伎は義太夫狂言なので、ストーリーがちゃんとあります。お江戸のほうは文化文政の頃になって、ようやく物語的な狂言ができてきたそうで、上方歌舞伎はずっと歌舞伎界をリードしていたそうです。「雁のたより」は軽い他愛のない話で、有馬温泉が舞台になっている唯一の演目です。

 ここでまたビデオを見ました。NHKの勘九郎襲名直前の勘太郎さん特集の番組とフジテレビの勘三郎さんの追っかけ番組の一部でした。昭和31年のほうは希少価値があったけれど、こちらは最近のなので、誤魔化された?はぐらかされた?時間稼ぎ?とちょっと思ってしまいました。

 それからは、九月大歌舞伎の話題からだんだん離れ、何かと話題の文楽へ。歌舞伎のコアは文楽なので、歌舞伎が好きになると、引き続きそれを深めようと文楽に進む人が多いそうです。東京はそういう循環がうまくいってるので、国立劇場の文楽はいつも満席だそうです。関西でもその循環が起こればいいんですが、もともとの人口を比べると、関西圏は首都圏の三分の一と言われているので、なかなかブームになるところまでは到達していないとおっしゃっていました。

 河内先生はいろいろな方面に働きかけをしていらっしゃるそうで、NHKの朝ドラで文楽を題材にしてほしいとお願いされたそうですが、ああいう朝ドラって既に2、3年先までスケジュールが入っているそうで、今言って今すぐ実行!っていうのは非常に難しいそうです。ストーリーは考えていらっしゃって「青い目の女の子が文楽の人形遣いと恋をする(イーデス・ハンソンさんがモデル)」でどうでしょう?っておっしゃっていました。私は(って誰も聞いていないけれど)、三浦しをんさんの「仏果を得ず」をドラマ化してほしいわぁって思っています。

 「シネ文楽」も提案されていましたが、人形の顔だけをアップにしてもだめで、全体も映しつつ、顔も映す、人形遣いも映す、となかなか技術的に難しいそうで、それがクリアされ、映画館で安価で文楽を見られるようになったら、お客さんの裾野も広がり、劇場へ足を運んでくれるようになるのではないか?ということでした。
 
 歌舞伎は松竹と国立劇場がうまく棲み分けをしていて、文化・芸術としての歌舞伎と興行としての歌舞伎がうまくバランスが取れています。文楽もそうなればいいんだけれど、残念ながら興行面を担う人(会社)がないので、今のような状態に陥っているそうで、そのあたりのことは文楽界の人たちももう少し何かしないといけないでしょうね、っていうようなことをお話されていました。

 「九月大歌舞伎」についてはもうちょっと突っ込んで聞きたかったかなぁと思ったけれど、いろいろな
お話を聞けたし、マイブームの文楽にもふれてくださったので、それなりに楽しませていただきました。次回は11月に12月の南座の顔見世と1月の松竹座の講座をなさるようです。チェックしておきたいと思います。
コメント
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