スウェーデンの今
スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員
 



ストックホルムの病院で入院する31歳の女性。先天的な神経の病を患い、6歳の時から人工呼吸器に頼る入院生活を送っていた。全身が麻痺し、病状は年々悪化していた。そして、思い悩んだあげく、手紙を書くことにした。

「私の身体と脳が機能しているうちに、尊厳のある死を選びたい。睡眠薬で眠りに陥った状態で、人工呼吸器の電源を切って欲しい。私の意志として、明確にこう表明したい。」

全身が麻痺しているので、2人の代理人に書き取ってもらったという。手紙の送り先は、社会庁。医療の全般を管轄している行政機関だ。

彼女を担当する現場の医師たちは彼女の意思を尊重したいと考えていた。しかし、安楽死はスウェーデンでは認められていないため、現場の医師の判断でそれを行うことができないのだった。そのため、彼女は自分の声として社会庁に訴えることにしたのだった。


ここでは2つの原則が対立している。1つは、患者は自分の意思で治療の是非を決められるべきだという原則。今回の場合では、現在続けられている延命措置を拒否する権利のことだ。そして、もう一つは、医師の義務は命を救うことであるという原則。つまり、延命措置を意図的に中断することは医者の役目ではない、ということだ。

社会庁は、これまで後者の原則に重きを置き、前者である患者の権利については明確な判断を避けてきた。しかし、それでは現場の医師が困惑してしまうため、医師たちは明確なガイドラインを作るよう、社会庁に働きかけている。そのため、社会庁どのような判断を下すのかが注目されている。

しかし、私の理解した限りでは、社会庁は安楽死の是非について新たな検討をするつもりはなく、従来の「死の積極的な手助け(active euthanasia)は認めない」という決定には手をつけないようだ。その一方で、社会庁は何が「死の積極的な手助け」にあたるのか?という部分の解釈問題を掘り下げて、これまでよりも明確なガイドラインを発表するつもりのようだ。

では、解釈問題によって、果たしてどのような判断が下されることになるのだろうか?

例えば、末期状態にある高齢の人の延命治療を続けるか、続けないか、というケースでは、
   ・積極的な行動を取る = 延命治療を続ける
   ・積極的な行動を取らない =延命治療を続けない → 死
という構図になる。この場合は、「延命治療を続けないこと」と「死の積極的な手助け」が直結する可能性は小さい。

これに対し、今回のように患者が既に人工呼吸器による支援を受けているケースでは、
   ・積極的な行動を取る = 人工呼吸器の電源を落とす = 延命治療を続けない → 死
   ・積極的な行動を取らない = 延命治療を続ける
という構図になるため、どうしても「死の積極的な手助け」という定義から逃れることは難しいのではないかと思う。

ともかく、社会庁は現行法のもとでの解釈の余地と、もし解釈を変更した場合の法的帰結について検討を始めたところであり、4月か5月頃に結論を発表するとしている。現場の医師たちにとっては、たとえ本人の同意があった上での決断だとしても、死という重大な帰結をもたらす決断であるため精神的な重みも大きいだろうし、逆に患者本人の意思を無視し続けることも辛いことだと思う。だから、社会庁が明確なガイドラインを示してくれるかどうかが、現場の職員にとっては重要なのではないかと思う。

ちなみに、メディア等を通じてスウェーデン社会に対して様々な意見発信を行っているスウェーデン医師研究会は、安楽死について以前から調査研究を続けており、患者が(1) 意思決定する能力を持っている、(2) 十分な情報を与えられている、(3) その決断の帰結を理解している場合に限って、末期かどうかに関わらず、そして、それが積極的な行動を伴うかどうかに関わらず、延命措置を中断できるようにすべき、という提案を行ってきた。


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