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地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

霊園散策6000歩

2021年04月04日 | 【8】見る観る聴く


21-4-4 園内の桜はほとんどは葉桜だ。今年は散るのが早すぎる。


新緑が心地いい

            

 思い出ベンチ 寄付した人の名前入り

           

          
          後藤新平(ボーイスカウト初代総長)の碑

健康アラカルト(101)国家の医師、後藤新平の話

aracarte101

今年に入り、新型コロナの嵐が世界中を吹き荒れている。その中で,コロナをほぼ制圧している数少ない国の1つが台湾である。その台湾でコロナ対策トップの人物から、「日本には台湾の公衆衛生の基礎を作ったあの後藤新平はいないのか?」と言わしめた後藤新平という人物をご存じだろうか?

1857年、現在の岩手県に生まれ、若干24才で愛知県医学校(現名古屋大学医学部)の病院長になった。暴漢に襲われた板垣退助を治療したのも彼である。日清戦争後、23万人もいた帰還兵に対し徹底した検疫を行い、国内への病原菌持ち込みを未然に防ぎ諸外国を驚かせた。さすが新平!国民をしんぺ・・・(ぱ)させなかったのは、お見事!

明治31年、第4代台湾総督児玉源太郎の片腕として、台湾に着任。当時、台湾はゲリラが跋扈ばっこアヘンも蔓延まんえんし治安も衛生状態も最悪で、清国も見放した島だった。後藤は、生物学の原則にのっとり病人を健康体にする方法で、台湾の風習や住民を尊重した上で、次々と大胆な政策を行った。予防接種を義務化し、上下水道の敷設を行い、伝染病の予防に寄与した。教育の充実を図り、医学校の創設も行い医療レベルを飛躍的に向上させた。また、人口と土地の調査を行い租税徴収の基盤を整備、鉄道、港、河川等の整備も行い、銀行を設立し貨幣を統一した。在籍した8年間で、あらゆる産業の基礎を作り、農業その他の産業を飛躍的に発展させ、治安を安定させた。台湾では、いまでも後藤を「近代化の父」と呼んでいる。

さらに、大正12年に発生した関東大震災では、復興院総裁として見事な指揮を執り、救済と復興を成し遂げ、日本を救った。国家の医師といわれる所以である。

今の日本に、このような見識と胆力を持った人物はいないものか!
マスク2枚と奥さんすらアンダーコントロールできないアベッチでは、か・な・り・やべっち!

 

衛生なくして、経済なし
 
 
伝染病の拡大阻止した125年前の「大規模検疫」…
偉人・後藤新平の“水際作戦”スピードと実行力に学べ!
岩手めんこいテレビ
2020年3月7日 土曜 午後7:00

100年以上前、世界でも前例のない大規模検疫事業の責任者を勤めた後藤新平
国内3カ所に大規模な検疫所をわずか2カ月で建設、自ら注意点など講義
3カ月間で687隻23万2346人を検疫、コレラ感染者369人などを隔離し感染拡大を阻止

■検疫事業の責任者に抜擢された後藤新平
岩手・奥州市立後藤新平記念館。
さまざまな分野で日本の近代化に貢献した政治家・後藤新平に関する資料を展示している。

今回、後藤が100年以上前にまとめた感染症対策に関する貴重な報告書を特別に見せてもらった。

■後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:

似島検疫所とは、1895年に後藤新平が広島に作った、伝染病の検疫所。

日清戦争の終結でコレラなどの伝染病がまん延する中国から、23万人を超える兵士が船で帰国することになり、当時37歳の若さの後藤が、世界でも前例のない大規模な検疫事業の責任者(事務官長)に抜擢された。

医師としてキャリアをスタートした後藤は、内務省衛生局にスカウトされ官僚になる。
ドイツに自費で留学し、ベルリン大学で衛生行政学を、北里柴三郎から細菌学を学んだ後藤は、帰国後、伝染病研究所の設立を推進し、実現させた。


3カ所に大規模検疫所を2カ月で建設
後藤は、伝染病についてこう述べている。
「その危険の恐るべきこと弾丸よりも大なるものがある」

■後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:
何十年・何百年後のことを考えて、新平はさまざまなものに取り組んでいたと思います

伝染病研究所完成の翌年、検疫事業の責任者に就いた後藤は、任命の2日後には、北里をはじめとした医学や衛生学の権威を集めて、検疫の大方針を決めた。
そして、国内3カ所に大規模な検疫所をわずか2カ月で建設。

ちゃんと『新平自ら講じ』ということは言ったということだと思います

死の危険にさらされる検疫の担当者たちに、後藤が自ら注意点などを講義している。
また、検疫を開始する前日、後藤は検疫所を一般公開した。
近隣住民にその効果を知ってもらい、不安を払拭するのが狙いだった。

3カ月間で687隻23万2346人を検疫

輸送船がやってくると検査官が乗り込み、感染者、もしくは感染の疑いのある人がいないか確認し、いた場合は隔離する。

実線が消毒の必要がない健康者。入所点検所に行って、持っているものを預かってもらい、待合室に移って、浴室に行く

健康な人は入浴して身体を洗い、その間に最新の大型ボイラーで衣類や持ち物を熱気消毒した。

死の危険がともなう最前線で、後藤はほとんど睡眠もとらず、陣頭指揮を取り続けた。

終わってみれば、3カ月間で687隻23万2,346人を検疫。
半分近い258隻が伝染病患者を乗せていて、コレラ感染者369人などを隔離し、感染拡大を阻止した。

後藤は、政府から高く評価された。

■後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:
医学が発達しても(新型コロナウイルスを)防げていないというところでは、検疫の基本、後藤新平の当時の報告書は大事な資料なのかなと思います

(岩手めんこいテレビ)
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