地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

中山道を歩くー資料編②ー

2008年01月31日 |  ・同上ー資料編ー


07-9-2(日)
中山道6 見る所

■本庄宿(江戸から10番目の宿場)
【○歴史民俗資料館】
 ・門は、田村本陣の門を移築
 ・資料館本体は、元の本庄警察署(明治の洋風建築) 内容はどうか?
【○安養院】 
 ・「小倉家の墓所」内に、江戸末期の文人碑が林立
  加賀千代尼句碑、芭蕉画句碑、渡辺崋山書の嵐雪、其角の句碑など27基。
 ・木曾の御嶽山へ登拝する信仰登山の祖といわれる、木食普寛上人の墓がある。

【○金讃(かなさな)神社】
・寛永16年(1639)、本庄城主の小笠原忠真が創建、神紋も小笠原氏の紋
 本庄宿の総鎮守。 丹塗りの社殿は、極彩色の彫刻で飾られ実に美しい、と。

・千代田三丁目交差点を左に行く道は、下仁田街道とか追分街道とも呼ばれている。
 中山道の南をと通る脇往還で、藤岡、富岡を進み、和美峠を越え追分の手前で合流。
 天明三年の浅間山大噴火で中山道が閉鎖時に利用。「姫街道」とも呼ばれた。

【○陽雲寺】
・武田信玄の奥方の墓や信玄自筆の起請文がある。(寺名は奥方の陽雲院の名に由来する)
・武田氏は天正10年(1582)、天目山の戦いで織田・徳川軍に攻められて滅亡するが、武田信玄の甥・信俊は生き延び、その後徳川氏に仕え川窪与左衛門と名を替えこの地に領地を与えられた。(この辺のいきさつは知りたいね)
養育してくれた叔母で信玄の夫人・陽雲院を呼び寄せ、住まわせた。
 
・大光寺
 ・見透灯籠
  英泉の「・・・本庄宿 神流川渡場」の中で、参勤交代の大名行列が神流川を渡るのを、の
  んびりと待つ旅人が座っている絵に描かれている常夜燈。どうも形状が全然違うみたいだが。
  http://blog.goo.ne.jp/yoshi62_001/c/ab5bb57b13eaa817df1ba32088d2da2d

■新町宿(江戸から11番目)
神流川(かんながわ)を渡り、群馬県(上野の国)に入る。
【○神流川(かんながわ)古戦場跡の碑】
 ・小田原北条軍と信長の家臣で関東管領・滝川一益軍との戦いで、信長が本能寺で討たれたのを機に始まる。北条軍5万と滝川方の上州軍1万6000の激戦で、滝川軍は戦死者3760名を出す戦史に残る大激戦であった。・・・合戦を物語る遺構は皆無に近く・・・
・見透灯籠(複製で本物は高崎市にあると) 
・明和観音像(古戦場跡の碑の左側の小さな観音像)
  「伝馬騒動」徳川家治(10代将軍)による無理な助郷の強制に対する蜂起
  「山県大弐の幕府転覆騒動」いずれも神流川で阻止された・・で、新町宿の被害少・・・
・・神流川合戦で戦死した武者たちの加護と信じ、感謝と供養のため観音像を建立したと。

【○芭蕉句碑(八坂神社脇)】
 傘におしわけ見たる柳かな  昔、ここにはケヤキではなく、大きな柳の木が立ち柳茶屋という茶屋があったと。
・旅籠高瀬屋跡
・小林本陣跡
・弁天島、虚空蔵葉橋、いずれか・・・広重が新町宿の画材として取り上げた場所。

■倉賀野宿(江戸から12番目の宿)
追分(倉賀野宿の東の入口にある日光例幣使街道と中山道を分ける場所)
【○常夜燈】
 正面には、日光道、右は中山道と彫られている。
 左に進む日光道が、例幣使街道(※)と呼ばれる。
 (※)正保三年(1646)以来、日光の東照宮に朝廷から幣帛(へいはく)、貢物奉納の例幣使を毎年出すのが恒例となり、その例幣使が通る道を日光例幣使街道と呼ぶようになった。
    幣帛(へいはく)・・・神に奉献する物の総称
    50~180人になる例幣使一行は、毎年4月1日に京都を出発して、中山道を経由して倉賀野から例幣使街道を通り、日光に向かった。 楡木で壬生街道と合流。
 この常夜燈を建設したのが、五料で旅籠を営んでいた高橋光賢、若い頃からの放蕩三昧の罪滅
ぼしに常夜燈建設を思い立った。この常夜燈の台石には江戸人気力士の雷電為右衛門、柏戸、
役者の市川団十郎、松本幸四郎などの賛助者の名前が刻まれているそうだ。その数312名。
光賢は、常夜燈を作り終えた四ヶ月後に亡くなったとか。
【○道標(常夜燈の前)】
 「これより右江戸道、左日光道」
【○閻魔堂(常夜燈の後ろ)】

・太鼓橋(昔の石橋は、宿内の飯盛女たちの寄進で作られた、と云うが、主人からの強制だろう。
 源氏名の刻まれた石の一部は、倉賀野神社の玉垣に使われているそうだ。

今回はここまで行いけるかどうか。天気次第かな。
前回よりは、少しは見るところがありそうだ。
地図上での直線距離で、14.5Km


07-9-25(火)
中山道7 見る所

■高崎宿(江戸から13番目の宿場)
【◎常世(つねよ)神社】(佐野源左衛門常世遺跡の石碑、世阿弥の謡曲「鉢の木」の舞台)
 「いざ、鎌倉」という言葉の発祥地・・・佐野道は、鎌倉街道上道)
 「鉢の木」
   そのストーリーは・・・鎌倉幕府の執権・北条(最明寺)時頼が民情視察のため旅僧に姿をやつして諸国行脚の途中大雪に難儀し、上州佐野の里で一夜の宿を乞う。宿の主人・佐野源左衛門常世(とこよ)は親族に所領を横領されて貧窮の極にあったが、時頼とは知らぬままに、秘蔵の梅・松・桜の三本の鉢植えの木を切って火にくべて時頼をもてなし「落ちぶれていても、いざ鎌倉のときは一番に馳せ参ずる覚悟だ」と語る。やがて鎌倉に帰った時頼が軍勢召集の触れを出すと、果たして常世は長刀をもち、やせ馬に鞭打ってかけつける。そこで時頼(後ワキ)は「諸国の軍勢の中でもっともみすぼらしい武士を連れてこい」と命ずる。呼び出された常世に時頼は過日の旅僧は自分であったといい、さらに鎌倉に馳せ参じた忠誠をほめ本領を安堵した上、「火にくべた鉢の木の礼」にと鉢の木に縁のある梅田・桜井・松井田の三ケ庄を与える。常世は「喜びの眉を開きつつ」喜び勇み立って安堵された本領の佐野へと帰ってゆく。
        http://s42masa71.ld.infoseek.co.jp/tour/furoku/hachinoki.htm
【○定家神社】(学問の神様として・・・)
【・琴平神社】(佐野道にある)
以上3ヶ所は、倉賀野・高崎間の佐野道(新幹線沿い)にあるため、戻らないで先に進む。

高崎宿の繁栄のあり様、江戸時代後期の狂歌師・大田南畝(蜀山人)は「江戸に帰りし心地ぞする」と。(壬戌紀行―じんじゅつきこう)

【◎大信寺】(高崎で最大の寺領107万石の古刹)
 三代将軍家光の弟(秀忠の三男)忠長の墓がある・・・高崎城に幽閉・自刃、享年29歳
将軍継承問題・・・二代将軍秀忠の忠長偏愛を、家光の乳母・春日局が家康に直訴。家康は元和元年(1615)、家光を将軍の後継者に決定、翌年没した。その後、忠長はで非行があったという名目など、家光に疎んじられ・・・
寺には姉の千姫から贈られた硯箱などの遺品が残り、自刃した部屋は長松寺に移されている。
【◎諏訪神社】土蔵造りの小さな神社、建物は龍の絡まる鳥居が張り付けてある。信州諏訪より48の宝石を勘請した沼田城主真田氏が箕輪に祀うった2の宝石のうち1つが祀られている。
【○高崎城跡・櫓・東門】(井伊氏の城下町。本陣、脇本陣はない)
・頼政神社、内村鑑三記念碑
【○長松寺】(忠長自刃の部屋、薬師如来像、本堂の龍など)
・高崎白衣大観音(高崎の実業家・井上氏、高さ41.8m)が見える。

君が代橋(烏川)を渡る

・万日堂(室町末期の作といわれる見返りの阿弥陀仏あり。全国で5体、関東ではここだけ)
○信州街道 分去れ(わかされ)の道標
・若宮八幡宮(奥州・安倍氏の反乱鎮圧に向かう源頼義・義家親子が戦勝祈願)
○飯野家の屋敷(江戸時代、茶屋本陣を努めた。和宮、公家、大名が小休止)
○藤塚の一里塚(日本橋から28番目、一対か?) 
◎小林山達磨寺(開山は心越禅師、だるま作り指導。洗心亭(日本に亡命ブルーノ・タクト)
 中山道からは少し外れる。
○上野国一社・八幡宮参道(神仏習合時代の形式残す。義家の甲冑を奉納)
 参道入口の鳥居の八幡宮の字は弁慶が書いたといわれる。神仏分離↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2%E4%BB%A4

■板鼻宿(江戸から14番目の宿場)
板鼻は関東と信濃の国境・碓氷峠の登り口に位置し、古来武将の往来も盛んで、源義経が金売吉次と奥州に下る途中、伊勢三郎と出合ったという伝説がある。

・かねつ橋供養塔(英泉の「木曾街道(中山道)六十九次」の「板鼻」の絵はこの附近か)
・双体道祖神(信州に多い、祝言像)
・称名寺(謡曲「鉢の木」で知られる佐野源左衛門の手植え伝わる楓がある。
◎皇女和宮資料館(木島本陣の書院)(宿直(とのい)が隠れていたという、床下の小部屋を見られるか)
 見学は板鼻公民館へ電話で確認済み。公民館に寄って開けてもらう。
○花屋(江戸末期の建物で、「てうちん屋」と呼ばれる土蔵造の家。屋根が浮く造りに注意)

■安中宿(江戸から15番目の宿場) 江戸から118.5Km
・大泉寺(井伊直政の正室の墓)
◎旧安中藩奉行役宅・旧安中藩武家屋敷(復元)
○新島襄旧宅(安中藩三万石の藩士の子、脱藩、渡米、キリスト教、京都同志社英学校)
・安政の遠足(マラソン)の記念碑
 名君・板倉勝明侯が、安政2年(1855)、藩士の心身鍛錬のためと始めた、碓氷峠の熊野権現までの七里余りを走る競技で、日本マラソンの起源とされる。
○赤穂四十七士石造(遠いので×。安中市街地から6Km)赤穂藩の片岡源五右衛門の下男・地元出身の元助が、主人の無念の供養のため、仏門に入り二十年の歳月をかけで石像を・・・
○原市の杉並木
 植樹されたのは731本、日光の杉並木と並び称された。昭和8年321本、52年57本、現在は?
・原市高札場跡、明治天皇原市御小休止碑
○八本木の立場茶屋(山田家)
○原市八本木地蔵堂(100年に一度ご開帳。日本三地蔵の一つ)

今回の目標 JR磯部駅まで、約16Km(場合によっては、手前、JR安中駅)

『恵みの湯』は、磯部温泉の中心部にある公営の温泉施設で、JR信越線磯部駅から歩いて5分の距離にある。(500円) 駅へ向かう途中。027-385-1126


07-10-29(月)-30(火)
中山道8 見る所

■安中宿(江戸から15番目の宿場)
【海雲寺】招き猫で知られる。
【妙義道常夜灯】

■松井田宿(江戸から16番目の宿場)
【不動寺】(仁王門が見事)
【松井田八幡宮】(本殿が見事)
【文化財資料館】
【補陀寺】(大導寺氏の菩提寺)
【五料の茶屋本陣の名主屋敷・中島家】(月曜日は休みなので、表のみ)
  ここから関所資料館を開けてくれ!のTEL(027-393-1111)
   文化財係・藤巻さん宛て
【五料の夜泣地蔵】(昔、馬方が荷物の平均を取るため落ちていた地蔵の首を馬の背につけて深谷まで行き、用済みとなった首を道端に捨てたところ夜な夜な「五料恋しや」と・・・、深谷の人が届けて胴の上に戻したと。)
【氷川神社】
【横川の関所跡(碓氷の関所)】
東海道の箱根の関所とともに、「入り鉄砲に出女」を取り締まった重要な関所)
【関所資料館】

■坂本宿(江戸から17番目の宿場)

一泊 
碓氷峠くつろぎの郷(TEL 027-380-4180)塩原さん
 食事(夕・朝)と温泉:峠の湯(TEL 027-380-4000)
○翌日の昼食・・・熊野神社近辺で食べるところがあるか、確認

【熊野神社】(日本武尊を祀る。上野国と信濃国の国境)

■軽井沢宿(江戸から18番目の宿場)

■沓掛宿(江戸から19番目の宿場)
【長倉神社】天長年間(824~834)の創建、沓掛時次郎の碑


○磯部から坂本まで約14Km(泊まり)、翌日、坂本から軽井沢まで10Km,軽井沢から沓掛(中軽井沢駅)まで4Km  


07-11-13(火)
中山道9 見る所

■沓掛宿(江戸から19番目の宿場)
 ※中軽井沢駅の旧駅名は、沓掛駅
【長倉神社】
・本殿は江戸時代の建築
・沓掛の時次郎碑―長谷川伸が発表した戯曲の主人公
【土屋本陣跡】
【道祖神】
【遠近宮(おちこちのみや)】
(信濃なる浅間の獄に立つけふりをちこちの人の見やはとがめぬー在原業平)

■追分宿(江戸から20番目の宿場)
【浅間(せんげん)神社】【常夜燈】
 ・芭蕉句碑 吹き飛す石も浅間の野分けかな
【追分宿郷土館】(浅間神社裏)
【油屋旅館(旧脇本陣)】
【泉洞寺】
 ・如意輪観音の半跏思惟像(地元では歯痛止めの仏様)・・・堀辰雄
【追分の分去れ(わかされ)】
 ・北国街道と中山道の分岐点
 ・北国街道道標  森羅亭万象の歌碑(平賀源内の門人・桂木甫燦三) 
  道しるべ石(さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿) 常夜燈(1789建立)
【御代田の一里塚跡】
 ・長野県下でも数少ない一里塚で、榎ではなく、枝垂桜だ。
小田井宿(江戸から21番目の宿場)
【安川本陣跡】

■岩村田宿(江戸から22番目の宿場)
【龍雲寺】
 ・曹洞宗の寺で、佐久に進攻した武田信玄が越後から北高禅師(越後・雲洞庵)を迎えて中興。
  伊那の駒場で病死した信玄の遺骨を持ち帰り、ここにひそかに埋葬したという。
【鼻顔(はなづら)稲荷神社】
 ・京都清水寺を彷彿させる景観とか
【西念寺(浄土宗)】
 ・信玄が開基、または庇護
 ・小諸藩仙石秀久など墓がある
沓掛―(4Km)-追分―(5Km)-小田井―(5Km)-岩村田 計14Km


07-11-18(日)-19(月)-20(火)
中山道10 見る所

■岩村田宿(江戸から22番目の宿場)
【西念寺(浄土宗)】
 ・信玄が開基、または庇護
 ・小諸藩仙石秀久など墓がある
【相生松】(皇女和宮が東下の折、野点をしたという。野点(のだて)・・野外で抹茶をたてること)
【駒形神社】
 ・牧に関連した神社 

■塩名田宿(江戸から23番目の宿場)
【本陣】
【御馬寄せの集落】(佐久三牧・望月の牧の馬を追い集めたことから付いた地名)
・塩名田騒動

■八幡宿(江戸から24番目の宿場)
・この辺は歩道が極端に狭く、大型車が遠慮なく突っ走るだと。注意!!
【大日如来坐像】
【八幡神社】(貞観元年859に望月の牧の管理をしていた、滋野貞秀が創設したとある)
【百沢・祝言道祖神】(宮廷貴族風で、他に例がないそうだ)

■望月宿(江戸から25番目の宿場)
 望月は平安時代、朝廷に馬を献上した全国32牧の内、信濃の国16牧の筆頭に数えられていました。「駒牽の儀」が毎年旧歴の8月15日の夜に行なわれたことから、望月(満月)の地名が生まれたと言われています。望月の道の周辺には道祖神ほか庚申塔、馬頭観音、大日如来など様々な石仏が見受けられます。特に道祖神は140体もあるといわれています

・平安時代の歌人・紀貫之
 逢坂の関の清水に影見えて、今や引くらん望月の駒 
(望月の駒が献馬中の駿馬であったことが、京人にも望月の地への思いを馳せさせたとか)
・生駒姫と月毛の恋の物語りhttp://homepage2.nifty.com/wildwind/ikomahime1.html 
④【弁天窟・豊川稲荷】
①【歴史民俗資料館】(17:00終了、月曜日は休み)天来記念館と共通500円
③【比田井天来記念館】(17:00終了、月曜日は休み)望月に生まれた近代書道の開拓者
②【旅籠大和屋(真山家)】(予約済み) 100円
 ・天明5年(1785)の建築 国の重要文化財指定

本日の泊まり・・・(佐久市望月188-1 TEL 0267-53-2014)
【山城屋】http://www.yamashiro-ya.com/  ※歴史民俗資料館の斜め前なので荷物を預けて見学する。

       中山道ウォークプラン(徒歩の方のみ:インターネットで申し込み済み)
        一泊二食一人当たり6,800円(税・サービス料込み)
       朝食:7:00(出来る限り早く頼む)

■望月宿 
【大伴神社】(毎年8月15日の「榊祭り」は、大伴神社により執り行われる。)

■間の宿 茂田井(良質米の産地) 私の生まれ故郷
【武重本家酒造】(よく旅の本に出ている場所)
 ・創業 慶応元年(1865) 地酒「御園竹」 若山牧水が愛飲
 ・裏の方に藤沢周平「たそがれ清兵衛」の映画のセットまだあるかも知れない。見ない。
 ・若山牧水歌碑
【大沢酒造】
 ・創業 元禄二年(1689) 地酒「大吉野」試飲?
 ・民俗資料館(無休)
・諏訪神社
・無量寺

■芦田宿(江戸から26番目の宿場)
【本陣跡】
【金丸土屋旅館】
【津金寺】
 ・大宝2年(702)大和薬師寺の僧・行基により、聖観音を安置し開山されたと伝えられる。
  現在日本で最も古い天台宗の談義所といわれる。
 ・寺の紋は武田菱。信玄ゆかりの遺物、遺跡、伝承が多く残っている。
  川中島へ向かう出陣の時、ここの聖観音に戦勝祈願をしたと伝えられる。
【笠取峠の松並木】(当初は、赤松753本植えたんだと)

■長久保宿(江戸から27番目の宿場)
【松尾神社】(京都の松尾神社と同様に酒の神を祀ってあるという。酒造家の信仰が厚い)
【長久保歴史資料館・一福処濱屋】
【本陣跡・石合宅】(「中山道最古の本陣」と賞賛を得ているだと)
【落合橋】
 ・広重が題材として選んだ。


■和田宿(江戸から28番目の宿場)
和田宿は中山道最大の難所「和田峠」を控え、賑わった宿。しかし文久元年(1861)の大火で宿並の2/3が焼失、皇女和宮通行に差障りが無きよう、幕府の助成を得て四ヶ月で再興を果たした。
【八幡神社】
 ・入母屋造りで藁葺き めずらしい。
【歴史の道資料館・かわちや】
【長井本陣跡】
【信定寺】(信玄の信濃攻めで討ち死にした、和田城主大井信定の菩提をを弔っている寺)

【中山道和田宿、旅人御宿本亭】(元庄屋)長野県長和町
  本日の泊まり・・・TEL 0268-88-2515
      一泊二食付で7,350円(税込み)/人、翌日の弁当(大きめのおにぎり2個と漬物)315円
       合計7,665円
    朝食:7:00(出来る限り早く頼む)

■和田宿
【和田峠】・・・道が分からない時は、国道を歩こう! 各自インターネットで研究のこと。
 ・和田宿 標高 831m位を
 ・和田峠 標高1599m(碓氷峠は1195m)
 ・標高差 768m(碓氷峠は734m)
・峠までの距離 10.7Km(碓氷峠と比べ、標高差はほぼ同じ、距離は倍あるので、斜度は半分のイメージか)
・峠から諏訪宿(下諏訪町)までの距離  10.8Km 

1日目 岩村田―(5Km)-塩名田―(3Km)-八幡―(3.5Km)-望月
 計11.5Km
2日目 望月―(5Km)-芦田―(6Km)-長久保―(8Km)-和田計19Km
3日目 和田―(22Km)―下諏訪

○湯泉ハウス児湯(共同風呂・年中無休・220円)か
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/simosuwa_koyu/simosuwa_koyu.htm
○下諏訪温泉「菅野(すげの)温泉」(共同風呂) 
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/simosuwa_sugenoyu/simosuwa_sugenoyu.htm 
  
○スーパーあずさ32号
  下諏訪17:39発  新 宿20:08着
○スーパーあずさ34号(指定を取る?)
下諏訪18:55発  新 宿21:05着

下諏訪到着の時間によっては、酒と夕飯(弁当)は、電車内か。
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