今回の投稿は、あくまで独断的偏見に満ちた視点から述べるものです。
4月5日付、投稿記事の中で角田みつよ氏のエッセイ、「旅先三日目」を紹介したが、
その中にあった「持っていると思い込んでいるもの、持っている気になっているもの」
について考えました。
一般的には、名誉、地位、財産、仕事、家、家族(の健康、命)、友人、約束、
銀行口座、名前、年齢、などなど。
私などはその中のどれをとっても、一つでも失くす事に日々、おびえながら生きています。
そんな時、私の頭にいつも「ホームレス」という言葉がよぎります。
もちろんこの言葉は私にとって「究極の放浪」を意味するわけですが、
ある意味で彼らは、この「持っていると思い込んでいるもの・・・」を全て捨てるか、
失くしたかしたわけです。その絶望のどん底で今なお、生きています。
私のような弱い人間なら死をもすら考えるでしょう。
そして現実に自らの死を選んだ人が何人もいることでしょう。
しかし彼らは何はともあれ今、生きています。
最近、特にこの「今、生きている」ということが非常に意味のあることのように思えます。
そういう意味で私はいつも「ホームレス」の強さに憧れを抱くとともに、
その強さに敬意を持っています。
壇一雄も高田渡もランボーも「持っていると思い込んでいるもの・・・」
をいつでも捨てられた人なのでしょうか。
いや「何も持たないこと」の楽しさを知っていたのではないでしょうか。
2005年4月29日掲載
クリックしてね
クリックしてねランキングが開いたら「男の隠れ家」以外をクリックしてね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます