「男の隠れ家ー陶酔庵」日記

いろいろあってまだ生きてます。世捨て人を気取りながら、その高みにはほど遠い俗世の世迷い人生、命だけが通り過ぎてゆきます。

事実と記憶とのはざまで

2015年05月25日 | 雑想


もはや真実・事実はワカラナイ話です。

もう45~50年程前の話ですから、自分の記憶を確認するために、あるコメントを投げかけてみました。

本来はブログのコメントは見ようと思わなければ、表には出てきませんし、

敢えて表に出すべきものでもありませんが、最近、こんな事が増えているので

ちょっと、確認してみたくなったのです。


この記事の前2回にわたる凧揚げに関する記事のコメントの話です。

私の記憶の投げかけに対して、彼の答えは「記憶にございません。秘書が勝手にやったことなので。」

という笑い転げるほど、ユーモラスな返答でした。しかし私の記憶と同じ宅地造成地での凧揚げの話や、

糸の切れた凧の捜索の話は合致しました。


人間は、(いや失礼しました)私は昔話をするときに、少し面白おかしく編集して、話してしまう

くせがあります。これが勇ましければ武勇伝となりますが、とかく面白おかしく話すためには、例えば

県境の高い山の狭くて細長い頂上で、凧が上手く上がらず、何度も往復して走っているうちに、

ズボンの前は開いてることにも無関心になります。もしも、このシーンを見たのは俺だと言う人は

名乗り出て欲しいものです。


武勇伝どころか人格も品格も落ちるところまで落ちてしまいます。


そんな色付けをして、何度か話しているうちに、本当はどうだったのかが分からなくなってしまいます。

これを心理学用語で・・・・なんというか知りませんが、多々私の脳の中で発生しているのであります。


最たる話は、私が生まれた家から、今住んでいる家に移って来たのは、6歳の時でありますが、

確か事業に失敗した親の借金を取り立てに来る借金取りから逃れるために、夜逃げをして、

しかも帯でくびったなぜか事務用椅子を背中にオブリ、妹の手を引いて夜中に母の実家に

辿り着いたと思い込んでいました。

もう亡くなりましたが、母に話すと上手い作り話に転げて笑ってくれました。


だからと言って、私のブログの話が全部がそうだとは思わないでください。

ただ、昨今事件が起こるたびに、ブログに書いてあることが、あたかも証拠でもあるかのように

取り上げられていることがたびたびありました。

これは一言書いておかねば、というリスクを感じ取る私のセンサーが、今日の記事を書く動機となりました。


出来れば武勇伝の方が良かったのですが、いつも落ちを探して落ちない自分が悲しいのです。



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コメント (2)
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