yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

金栗四三選手

2012-07-05 06:17:34 | 文化
日本のマラソンの父と言われた金栗四三(かなぐりしそう)選手の話です。
金栗四三は、今から丁度100年前の1912年(明治45年)に開催されたストックホルム五輪のマラソンの日本代表選手でした。しかも、日本人初の五輪代表選手でした。当日は40度を越える記録的な暑さで、参加選手68人のうち、半数が途中棄権し、1人は翌日亡くなるという過酷な状況でした。金栗選手はレースの途中、日射病で意識を失い、ソーレンツナという村の農家で介抱されたということです。目を覚ましたのは翌日の朝、既に競技は終っていました。競技委員会は日本人がひとり行方不明と処理していました
 さて、55年後の1967年3月、スウェーデンの五輪委員会はストックホルム五輪開催55周年記念の式典に金栗選手を招待しました。55年振りにストックホルムを訪れた金栗選手は礼服姿で現れ、競技場内に用意されたゴールテープを切りました。その瞬間「日本の金栗が只今ゴール。時間、54年8ヶ月6日2分20秒3。これで第5回ストックホルム大会は全日程を終了しました。」という場内放送が流れました。
 これに応えて金栗選手は、「長い道程でした。この間にわたしには5人の孫ができました。」と言ったとのことです。
スウェーデンの五輪委員会の粋な計らいに応えた、ユーモア溢れるコメントでした。
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